一杯のかき揚げうどん。

サービスエリアのおうどん。
600円くらいでしょうか。

コロナ禍では常に資金繰りとの戦いでしたので、わずかな出費も抑えること。
補助金や給付金は頂戴しましたが、社交飲食店叩きとでもいうのでしょうか。

感染の温床的なイメージから来店ゼロという日が続いていましたしね。
とても有難かったのですが、全く足りなくて軽食さえ口にすることができなくて。

というより、会計を担当している立場とすればおうどんなんて!という気持ちが常にありましたしね。
ママと二人で『欲しがりません。 勝つまでは!』を合言葉に極貧生活を楽しんでいましたが、
5月8日以降もそれは続いていて、先日の外出で何気に「おうどんでも食べていきましょうか」と口にした時、
コロナの記憶が薄れてきたことを感じました。

ですが、現実はデータが示しているように厳しい状況。
全国的に廃業、倒産のニュースも増えていて、私たちのコロナは終わっていないのが現状。

そうした厳しい状況にも関わらずコロナの記憶は薄れつつあって、
それはちづるをご利用下さる方のおかげによるもの。

今日はそんなお話をさせていただこうと思います。

言葉で表すのはとても簡単なこと。 思っていなくても口に出せば良いんですものね。
ですので『日頃のご愛顧に感謝して』というような表現をすることは苦手。

そんなことを言う暇があるなら実行! 行動で表すことだと思うのです。

『言わなくちゃ伝わらないよ』
そう指摘されても大切なのは行動することで、行動以前に言うべきことじゃない。

コロナ以前はそんな考え方をしていましたが、ブログやタイムラインを更新する度、
それまで苦手だった表現を自然に使うようになったことはコロナのおかげだと感じています。

感謝の気持ちを形として表すことと言葉できちんとお伝えさせていただくこと。

夜の国分が少しずつ明るくなるに連れ、当時の記憶が薄れるようではいけない。
まだまだ弱々しい街の動きにも関わらず、おうどんなんて食べてはいられない。

コロナ禍の苦しさがトラウマとなって、その思いから抜け出せないまま毎日過ごしていますが、
それで良いと思っています。

お掃除のこともそうですが、コロナ以前は感謝の気持ちが違っていて、
週に一度程度しかできませんでしたが、気持ちというのか心構えが変わったということだと思います。

たくさんあるお店の中。しかも場末も場末。
お婆さん二人のお店にお越し下さるんですものね。

それを心の奥の奥の奥まで探ってみて、本当にそう思っているのか。
それはどれほどのものなのかと何度も尋ねる。

あらゆる角度から見て曇りが少なく出来たことは、辛い記憶がさせてくれたこと。

ミーティングでどうすればよりお客様に満足していただけるか。
売上の管理以上に時間をかけていますが、それが楽しく感じられるのはコロナ禍ではできなかったことですものね。😊

この先、どこかの時点で廃業の選択をしなくてはいけない時期が来るかも、、、
常に廃業と隣り合わせの中にいた4年から解放されましたが、まだまだ不安定さは残っていて。

そんな中、多くの方にご利用いただけていると思うと、より良いサービス。どこよりも良い接遇を以てお客様にご恩返しをさせていただくこと。

SAのおうどんが私たちにとっての極上の一杯。
それを感じなくならないよう戒めながら進めて行きたいと思います。

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