高校卒業して25年経って突然同窓会やることに成って卒後初めて顔合わせしました。それをきっかけに担任の先生のご自宅(お寺)にクラスメイトが20人くらい押し掛けて食材を持ち寄り料理をしたりお酒を飲んだりのクラス会を行うようになりました。皆立派になっており、近況を語ったり思い出話をしたりと高校の時は殆ど話をしなかった同級生と仲良くなれてとても楽しく過ごせました。
でも年に1回でお腹一杯ですね。
 
 
孤独=カッコいい使われ方が多様されている事に違和感がある。多用されているのは孤独ではなく、孤高のような気がする。
あと話題にわざと取り上げなかったのかもしれませんが、氷河期世代の年齢だとそろそろお亡くなりになってしまった方も出てきて、一層減ってしまう。
私自身数少ない友人が既に1人病死してしまい、地元ではないのもあり外に出る事もなく、ゲームだけになってしまいました。
 
 
社会法規という枠の中での自由
そしてその大枠の中にはそれぞれのコミュニティでのルールがあり、更には家族内、自分だけのルーチンという枠のなかでは自由
 
シフト勤務だから平日のカフェでマスターと駄弁るのが好き。
友達は別に要らない中で、sns繋がりで別の常連さんとカフェというアナザーロケーション(第三の場所)でのライトな友人はできた。
 
 
今思えば青春時代の友達も幻想的な側面がかなりありますね。
さすがに当時のまま今付き合える人はほぼいませんから、その感覚で中年壮年以後の友人関係を築くのはさすがに無理があるでしょう。
思い出話に花が咲くのも、せいぜい年一数時間を数回繰り返せば大体自然消滅します。
大人になってからは友達という分類よりも頻度と距離感だと思います。
私にとっては、行きつけの美容室、カーディーラー、バイク屋に年数回行って世間話する程度で十分。
無趣味の人も日用品を一部個人店で買うだけで気付けば常連。

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