〇〇のために生きてこそ人。

お弁当の配達を終えたのはオニユリが咲いた日のことでした。
今でもその日のことをしっかり覚えているほどの清々しさで、やり切ったという達成感がそうさせたのだと思います。

自分ではママの『人のために生きてこそ人』というフレーズをしっかり理解できていたと思っていましたが、人間、苦しくなれば自分自身のことしか考えられなくなってしまうもの、、、

会計という立場もあり、ママの提案に猛反対をした訳ですが、この達成感で得るものも多くて、
以降、人のために生きてこそを優先できるようになれたことは皮肉にもコロナのおかげ。😅

善因善果ということでそう思う訳ですが、その辺りがママと違っているところで善果を求める私がいるのだと、、、

なかなかママの域にはなれない訳ですが、それでも自分自身を優先することなく生きようとすることで動機はマまのようにはなれない訳ですが、善果を得ること、感じることができることは素直に嬉しいこと。

その善果も自分寄りのものか、人のために近いのか。ということもありますが、
自分寄りでないことはこの数年で成長できたのかなと思うと嬉しくて、ひとつの成功体験ということだと思いますが、雪だるまのようにコロコロと大きくなってくれれば。と思っていた矢先に冒頭のリンクのようなことがあって、やっぱりまだまだ足りないと反省。

『好きでやってることなんだから』が身につかないのはどうしてなんだろう。って考えてみましたが、私の中にどこか期待する気持ちがあるということなのでしょう。

見返りに金銭や物が欲しいというのではありません。
欲しいのはその背景にある私たちの気持ちに気づいて欲しい。 理解して欲しい。ということですが、
それではやっぱり動機としては良くなくて、そうした私のあり方が彼に伝わっているのかも、、、🤔

全くの無になること。
何の期待もしないことということなのでしょうね。

期待もひとつの欲ということでしょうから、まだまだ修行が必要ということですが、その欲を反発にしてきた私にはなかなか難しくて。

ですが、風になりたいというママのように。
私もそうなれるといいなと。

そんなことを思いました。

おしまい。👋

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