疑似家族

「おじさん・おばさん」になる前に絶対やっておくべきこと、養老孟司が「一人は気楽」という人に異論を唱えるワケ

考えさせられる記事。
歳を重ねること、立場が変わることで考え方も変わるものだと思いますが、疑似家族的なコミュニティの必要性を感じていることは前回お話をさせていただいた通り。

先行き不透明過ぎる時代というか、これまで私たちが見てきた老後に期待することのできない時代を生きるヒントとして、疑似家族的なコミュニティの必要性を強く感じるんですね。

お友達の死とその後のご家族の大変な様子を伺ったこともそう。
金銭的に余裕のあるご家庭で起きた悲しい出来事でしたが、精神的支えは金銭で解決できるほど簡単なものではないようで、家族の存在があってもそうなのですから、金銭的に乏しく親とも疎遠の私は疑似家族という考え方に勇気づけられるんですね。

記事には『家族はいいものだと全面的に肯定するものではありません。面倒なものです。でも、人として生きていくこと自体、面倒くさいものなのです。それが身に染みてわかるようになってくる。』と書かれていますが、疑似家族の場合、さらに大変なことだというのは私の経験。

振り返って今感じていることは幸せな人生を送ることができたというものですが、それは面倒臭さ・困難を乗り越えた先に感じることができるものですが、「一人は気楽」という意識を少し削ってみること。豊かな未来への自己投資という意味でもトライしてみる価値はあると思うんですね。

面倒くさいことを引き受けてこなかった人が、そのあとの人生を良いものにしているかは疑わしい。実際に面倒を要領よく避けてきた人のその後を見ても、そう感じます。

というのも、結局、その後また同じような問題に直面することになるのです。その時にどうすればいいのかわかりません。それでまた逃げることもあれば、立ち往生することもあるでしょう。
「おじさん・おばさん」になる前に絶対やっておくべきこと、養老孟司が「一人は気楽」という人に異論を唱えるワケ

私の場合、ママと時間を共にする中で迷惑のかけ通しだった訳ですが、それを赦してくれるというか包み込んでくれるママのような存在に出会うことができなかったのは、私の性格・プライドが邪魔をしていたとも思うのですが、そんな私と共に人生を歩んでくれていることもそうですし、今のお仕事でも人を大切に思う彼女のココロは変わらなくて、ママのような人であれば疑似家族的なコミュニティをみんなで作ることができると思いますし、そこに身を置くことで家族と過ごすほどではないにしても孤独で過ごすより安心感が高まると思うんですね。

ちょいカラサロンはまだ何もスタートしていない状態ですし、ご利用者様の目的もそれぞれだとは思いますが、必要とされる方へお届けができればと考えているところですが、ちづるでは疑似家族よりも少し距離を置いた家族?的な取り組みを試験的に行っていますがクレームを頂戴することはないことから一つの方向性として感じているところ。

「一人は気楽」に対して思うことは何もありませんが、誰にも必ず老いはやってきますし、「死ぬまでに使い切れないほど金がある」と言っても、支えてくれる人がいなければ寂しい老後を過ごすことになりますものね。

性格・プライドが邪魔をしてうんと遠回りをした私が思うことは、誰と生きるか。ということ。
スナックのママなんて信用できるか!という方もいらっしゃると思いますが、ご贔屓様にはそれを少しでもお感じいただけていると思うんですね。

色恋営業、疑似恋愛などのテクニックを一切用いることなく。って、お婆さんには通用しない訳ですが、それでも今日までお店を続けることができたことに対する私たちの感謝の気持ちをちづるはもちろん、ちょいカラサロンにも乗せて運営をしていきたいと思います。

春はすぐそこ!
今週も毎日笑顔で過ごせますように。😊

おしまい。

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