ずっと頭の中にはあったのですが、準備らしい準備をすることなくスタートしてしまったことから開店休業の続くちょいカラサロン😭。
ご利用をいただければきっとお喜びをいただけると思うのですが、しっかり営業活動をした訳ではありませんし、サイトやSNSの活用と言っても年配の方には届きづらいでしょうしね。
何よりそれ以前にアクセスに乏しすぎるサイトということもあって打つ手なしという厳しい状態。
昨日はオペレーションの意味を含めてみんなでランチをいただきましたが、これがなかなか楽しいんですね。
ママのズッコケ話も面白いのですが、話を聞いてもらうことで会話がどんどん広がっていく楽しさは時間を忘れてしまうほど。
レストランでいただくような出来立てアツアツ。
見栄えのするお料理ではありませんが温かいご飯と豚汁があれば十分!
いつも思うことは、みんで賑やかに食卓を囲むことの大切さ。
うんと昔。
製パン工場の方からいただいた袋一杯のコッペパン。
暮れていく土手で笑いながらお腹いっぱい食べたことがありましたけれど、
思えば。今までの人生で一番贅沢で、楽しい食事だったと。
当時一緒にパンを食べてくれたのはママ。
なので人生で一番贅沢で楽しい時間は日々更新されている訳ですが、私にとって大切なのはお料理でもなければ場所ではなくて『その時間を誰と共にするか』ということ。
コッペパンがどんな味だったかを思い出すことはできませんが、何十年経った今でもココロ豊かな時間としてあの時の光景を鮮明に思い出すことができることは幸せなことで、心の中のアルバムには素敵な思い出がたくさん残されています。
私はお料理が苦手ですのでママに頼ってばかりでいけないのですが、ココロ豊かな時間が書き換えられていくことはとても幸せなことで、ママのおかげで『あの頃は楽しかった!』と振り返ることかないことも幸せなこと。
昔を懐かしんで寂しい思いをすることがない理由は、幸せが日々書き換えられていくことで常に楽しく過ごしていられることによるものですが、ちょいカラサロンを通してそんなことをお感じいただきたいと思うのです。
昨日も昔の笑い話を持ち出して大笑いしながらの賑やかな食事。
歌って発散するより『会話の必要性を十分すぎるほど感じた楽しいひととき』でしたが、これまでの人生でそんな場所ってあったかな。と考えてみても全く思い浮かばないんですね。
私にとって場所もお料理も集う場所を借りているだけに過ぎなくて、大切にしているのは誰とどう過ごすかということなんですね。
このお話。
世界がこれまで経験したことのない超高齢社会において大きなヒントになると私は考えていて、ルームシェアは難しくても風紀を乱すことなく、似たような価値観を持つ人が集うことのできる場所を作ることはできると思うんですね。
このお話は後日させていただきますが、それぞれが得意とすることを以て支え合っていくとでもいうのでしょうか。
これまでのような高齢者福祉に期待することなんて絶対に無理ですものね。
ちょいカラサロンを単にカラオケを楽しむ場所としてではなく、衣食住として機能させることはできないか。
これは購買を含めてのことで、集うことのできる場所を生活の大半に必要な空間。 自宅はプライベートな空間として分けることで不安を感じるどころか、常に心強くイキイキとしていられると思うのです。
これはちづるで試験的に行っていてノウハウとして蓄積しているところ。😊
同性同士であれば成り立つことでも異性が絡むことでトラブルになり兼ねないという思いはありますが、それだけに『風紀を乱すことなく、似たような価値観を持つ人』という条件が必要ですが、ルームメイツ【新装版】にはそのヒントがあるように思うのです。
ちょいカラサロン・うつスナックを軌道に乗せることができたらトライしてみたいと考えていますが、問題はちづるが存続できるかどうか。
そこが一番の問題でしたね。😅
今日のお話は『遠い親戚より近くの他人』に助けられ続けてきた私の思うことで、その輪を少しでも広くできればと思うのでした。
おしまい。