北里大学病院
第23回 からだの痛みとこころの痛み
ひとりになると関節の痛みが強まり、誰かがそばにいると痛みが和らぐ認知症のある人に出会ったことがあります。「寂しくなると、からだのことばかり考えて不安になって、からだに力が入りすぎて痛みが強まるのかもしれませんね」と尋ねてみたところ、「昔からからだのことを気にしがちだったから、そうなのかもしれません」「デイサービスでにぎやかにしている時はなんともないのにね」と苦笑しながら教えていただきました。もともとの性格、性質の影響もあるかもしれませんが、年齢を重ねるとからだの衰えに戸惑い、不安や哀しみを感じるのは当然のことのようにも思います。不安、寂しさ、孤独感という、いわばこころの痛みがからだの痛みとして表現されることは決して稀なことではありません。
『こころの痛みがからだの痛みとして表現される』
ちょいカラサロンを運営する中で強く感じていること。
認知機能の衰えはないようですが、体調不良から食事が喉を通らなかったという90歳の女性。
「体が溶けてなくなってしまうかと思った」と涙ながらにお話しくださいましたこちらの方はご家族と同居されていらっしゃいますが、家族と過ごす安心感はあったと思いますが、心配をかけたくなかったのでしょう。
その辛さ、怖さを話すことはなかったよう。
体調が回復されたことから気分転換にランチを兼ねてちょいカラサロンへお越しいただきましたが、きれいに召し上がられたこともそうですし、差し入れでいただいた桜餅をお出しすると「美味しい!」と言ってこちらも残すことなくお召し上がりいただくことができました!
彼女の様子を知っていたお友達はとても驚かれていましたが、こういうことだと思うんですね。
似たようなことですが、登山が趣味で若い頃 色々な山を登ったよ。と懐かしそうにお話下さる方。
ひざを痛めてしまったことから歩行が困難になってしまったそうですが、ちょいカラサロンへお越しの際は立ち上がって軽快なステップを踏まれるのですが、こちらも日頃の彼女を知る方が驚かれるほどお元気なんですね!
痛みということ以外、こんなことってあるんだ。という不思議?な効果は”不安、寂しさ、孤独感”の開放と”楽しさ”が引き起こすものだと感じていて、専門知識はありませんので十分なケアをすることはできませんが、楽しくお過ごしをいただくためのお手伝いでしたらスナックの営業を通して得たノウハウを活かすことができますしね。
ちょいカラサロンを始めて本当に良かったと感じています。😊
動画のように献身的に寄り添ってくれる人がいるかいないか。
とても大切なことだと感じているのはちょいカラサロンをご利用下さる方の『世の中 なんでも金だよ!』という言葉、、、
それは何をするにしても費用がかかることへの不満ということではないようです。
これまで利用していたお店のことだと思いますが、毎日のように通っているにも関わらず、どんな小さなことに対してもお金を払わなければサービスを受けることができないことへの不満というのでしょうか。
「それくらいサービスしてくれたって良いのに」ということだと思いますが、ココロが伝わらないことに対する苛立ちがそう言わせているのでしょう。
とても気前の良い方ですからケチな心が言わせているのではありません。
それはお付き合いをさせていただく中で私たちが感じてきたことで、彼らが欲しいのは『思いやりの気持ち・心』なんだと思うのです。
夕飯用に何かお総菜を作ってとお願いをすると簡単なものにも関わらずお金を払わないといけない。
あまりにも貧弱過ぎるその内容もそうですが、独り暮らしで自炊をしないことを知っている訳ですから、お願いをされる前に用意をしておいて欲しい。 気遣ってほしい。ということだと思うんですね。
捨ててしまうくらいなら「持って行きなよ」とあげてしまうような気前の良い人。
お金を払いたくないのではなく、同じような気持ちでいて欲しいということなのだと思います。
調理代行サービスを利用されていらっしゃる男性は「煮物をどっさり作って置いていくからそれを何日にも分けて食べなくちゃいけない」、、、
どちらもパートナーを亡くされ独りで暮らしていらっしゃる方。
お子さんから送金はされているようですし、年金受給額も多いことから豊かな高齢者に分類されると思いますが、家族以外寄り添ってくれる人がいないということ。
寄り添ってくれているように見えて、それはすべて金銭を支払うことでなり立っている、、、
悲しいことですが、それが現実なんでしょうね。
このお話とは違いますが、流行っていない居酒屋さんを応援しようと何度も通ったことがあります。
店主が奥から出てきて「海老が残っているので食べませんか」と。
頻繁に通っていたこともありますし、お友達をたくさん案内するなど私なりに応援をしていましたのでそ感謝の気持ちからサービスをしてくれるのだと勝手に思ってしまった私もいけないのですが、残っていたたくさんの海老を全部天ぷらにして出してくれたのですが、それはサービスではなく伝票にしっかり記載されていて、気持ちが通じない人ということで行かなくなってしまいましたが、それと似ているように思うのです。
当初、ちょいカラサロンは安く利用できるカラオケ喫茶というイメージだったと思いますが、ママの寄り添うココロを感じていただけるようになりつつあることを嬉しく感じています。
どんなことをしてるいるか。ということはここで控えさせていただきますが、そんなことまで考えてしているの!と驚くようなことがいっぱいで、どうしてそこまでしようとするのかということをお勉強させてもらっていますが、感じ取って下さる方もいればそうでない方もいて、私などは残念な思いをすることがありますが、若い頃 苦労をしてきた彼女はどこ吹く風。
『「あなたの考えは面白いからもっと聞かせて欲しい」という姿勢を意識することはとても大切なこと』をテクニックとして使うのか、ココロからそう思えるのか。
テクニックはメッキのようなもの。
粗悪なものであれば簡単に剥がれてしまうように付け焼刃的なものであれば見透かされてシラケてしまうでしょうし、上質なメッキを施したところでいつかは剥がれてしまうもの。
ryo_療育保育士
@ryo_ryoiku
なかなか大変な地域ですよと誘われた子ども食堂
大人が不良ぽい子たちにお茶を注いだりカップラーメンにお湯を入れてたり
「自分でしてもらわないの?」と聞くと
「彼らはそれ以前。
大人から何かをしてもらったことのない子どもたちだから」との返答
自分の見てるものなんて一部分なんだと思った日
凪*
@Snowdaily0919
@ryo_ryoiku 私なら『甘やかすな』とか場違いな事を言ってしまいそうです。自分の知らない世界があることを知らないといけないですね。
大切なのはホンモノの寄り添うココロがあることなのでしょうね。
私心を全く感じることのないママがスナックバーちづる・ちょいカラサロンの運営をしてくれている間はきっとお支えをいただけるものと考えていますが、私は凪*@Snowdaily0919ような考え方をしてしまうかも。そう思うととても恥ずかしいことですが、苦しい時にいつも寄り添ってくれた彼女のようになりたいと思っていますし、彼女への恩返しという意味でもママとの差があり過ぎることで足を引っ張るようではいけませんものね。
ちょいカラサロンの運営を通じてお勉強をさせていただき、心あるより良いサービスをご提供できるよう努めていきたいと思います。😊