皿洗い30分でメシ代タダ!
京都の人情店主が語る“順繰り”の幸福論
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「若者に食べ物で困ってほしくない」の一心で
《めし代のない人。お腹いっぱいただで食べさせてあげます。但し食後30分間お皿洗いをしていただきます》
こんな張り紙で知られた『餃子の王将』出町店(京都市上京区)が閉店したのは2020年10月31日。店主の井上定博さん(73)が「若者に食べ物で困ってほしくない」という思いで続けてきたが、古希になり、後継者もいないことから、暖簾を下ろすことになった。
「マスコミが報道してくれたから、全国から山盛りのように元学生が会いに来てくれた。東京、鹿児島や沖縄からも来た。朝から30人も待っててくれた。『今までありがとう』って花束渡されて、もうオレ死ぬんかなと思った」
元学生の中には意外な出世をした人も多い。同志社大学出身で、直木賞作家の澤田瞳子さんも同店の常連だ。
「いつもオマケで付けてあげたカラアゲ2個が『私を励ましてくれた』って言うんですよ。彼女の本を30~40冊買って、サインを入れてもろうて、周囲の人たちに配ったら、えらい喜んでもらいましたわ」
20代でいい人に出会えば人生は変わる
店の近くには京都府立医大もあったため、医者になった元学生も多い。
「緑内障になったんですが、うちに通ってた子が『手術はボクでもできんことないけど、日本で一番の先生にやってもらったるわ』って、紹介状を書いてくれた。脳外科医になった子もいて、『ボク、頭開けて手術するのが得意なんや。オッチャンやったらタダで手術したるわ』って」
閉店を感慨深く眺めていたのは客だけではない。苦楽を共にした夫人(72)もだ。井上さんは20歳のとき、周囲に結婚を反対されて大阪に駆け落ちし、6畳一間のアパートで暮らした。まもなく子どもも生まれた。当時はトラック運転手などをしていたが、50円のサバを買って、しょうゆと砂糖で水炊きするような“食えない”生活をしていた。そんな生活を見かねて60代の知人が夕食にすき焼きをごちそうしてくれた。
「どんなに貧乏しても、満腹にさえなれば、人は幸せになれるんや」
この体験が原点になった。
「20代のときにいい人に出会うと人生変わるよね。子どもが育って、40~50代になると、だんだんそのことを思い出す。のちのち20代の子は日本の宝になると思いますよ。オレは死んでいくけど、そんな子たちが『出町のオッチャンがタダでメシ食わせてくれたなァ』『オレも頑張らなアカンなァ』って思い出してくれたら、オレが人生を変えたことになりますやんか。そうやってまた若い人を応援してくれる人になれば、ネズミ算式に幸せな人が増えていく。それが“順繰り”やと思いますわ」
夫婦水いらずの老後の予定が…
井上さんは23歳で株式会社王将フードサービスに入社し、71歳で出町店を閉めるまで、50年近くも深夜1時に帰宅する生活を続けた。夫人はそんな井上さんを寝ないで待つ生活を続けた。そんな生活も終わる。これからは夫婦水いらずで日本中を旅しよう。実際に井上さんは北海道から九州まで「仲良く手をつないで」旅をした。
ところが1年半後、井上さんは「やっぱり苦学生を放っておけん。また店をやろうと思う」というビジョンを打ち明けた。その途端、夫人には大反対され、「もうアンタとは暮らしていけん」と言われ、別居に至ってしまった。夫人は家を出ていき、近くのマンションで暮らしているという。
「だから、昨年6月からヨメはんの顔を見てないんですよ。ヨメはんはもう十分じゃないかと言うんです。それも分かる。でも、コロナ(新型コロナウイルス)のうえに物価高になってるし、当然食えない子もいるでしょう。そんな困っている子にメシを食わせてやりたい。ヨメはんと一緒に暮らしたい気持ちとそれを天秤にかけたら、どっちも重いんだけど、やっぱりまたオレが店をしたら明るくなるんじゃないかなと。自分は厚生年金もあるし、蓄えもあるし、食う分には困らへん。でも、20代で年間3000人も自殺者がおるそうやないですか。これはヨメはん泣かしても商売をするべきやないかと思って…」
神様からの思し召しであるかのように、ちょうど株で750万円が儲かった。同じ出町桝形商店街でテナントを借り、器材を導入し、開店準備にかかったカネが300万円。あとの450万円が客への“還元資金”だ。
「神さんから、これをやるから困ってる子に食わせてやれって言われたみたいやわ。だから、これが尽きるまでは頑張るよ。オレももう73歳や。80歳になったら、もうアカンと思う。甥っ子にでも店を譲ろうと思う。『皿洗い30分でタダ』はまたやるよ。そのための店やから。でも、今度の店は厨房が小さいし、『自分の皿だけ洗ったら、もうええで』って言ってしまいそうな気がする」
『島耕作』のモデルにも
新しい店名は『いのうえの餃子』だ。カウンター形式で10席しかない。規模は以前の店の半分といったところか。
だが、店の内装は日曜大工が得意な常連客が手伝ってくれるし、店の題字も常連客が木彫りの看板に仕立て上げてくれた。井上さんの店にはお忍びでやってくる芸能人や有名企業の社長も多い。『取締役 島耕作』(弘兼憲史/講談社)のモデルになったこともある。
「オレ、えこひいきするのがイヤなんですよ。たとえばカラアゲを2個オマケするんやったら、10人で来ようと皆にオマケしたい。オレも子どもの頃に経験あるけど、『お前だけやらん』って言われると、物凄くショックを受けるんですよ。自分が食うより、困ってる子に食ってもらった方が嬉しい。だから、何でもあげます。『600円の定食で、何で水ようかんまで付けてくれるんですか?』って聞かれたりするけど、オレが食うより、喜んでもらえる人に食べてもらった方が嬉しいやんか。40~50代になったら分かるわ、順繰りで」
井上さんの店は今年3月3日の開業を目指して現在準備中である。井上さんは開業を目前にして、肺ガンの切除手術を受けた。「お店に来てくれた元学生の医者がよくしてくれた」と言うが、井上さんが最後の力を振り絞ろうとしているのは間違いない。
とにかくカネがない苦学生には神様、仏様の店になるだろう。「うっかり、記者の前で『また店するがな』と言ってしまった」ことから始まる、名物店主の第2章はまもなくリスタートだ。
『いのうえの餃子』
京都市上京区桝形通出町西入二神町179番地
営業時間 11時~20時 火休(予定)