社会的に多数を占める人々は,なんらかの形での「対面」を必要としている。あるいは社会システムは,対面の要素がないとうまく回らない。コロナ禍はこの点を明確化したように思う。詳細な検証は後日に譲るが,対面なくして人の欲望は維持できないし,欲望が生じなければ意志決定は困難になる。また医療や教育のように関係性が大きな意味を持つ領域では,対面の持つ実践的価値はさらに大きい。対面機会を欠いたひきこもり生活が,多くの人にとってある種のストレスになっていることは想像に難くない。それはハラスメントや過重労働のような,いわば“加算的ストレス”とは異なった意味で,表面上はストレスフリーにみえて後でじわじわ効いてくるような“引き算的ストレス”になっている可能性もある。これが巷間言われる「コロナうつ」の一因ではないだろうか。
物価高騰による影響から街の状況は回復しないまま。
コロナ禍とは異なりますが、“引き算的ストレス”による不調を感じている方も多いのでは。
コロナ禍でも思ったことは『だからこそ!』
ちょいカラサロンを始めて感じていることは『お喋り・会話』の大切さ。
おかしいと感じたときがそのサイン。
『対面機会を欠いたひきこもり生活が,多くの人にとってある種のストレスになっている』
コロナ騒動には区切りが着いたことで人と会うという意味では元の生活に戻ったように見えますが、物価高騰による消費意欲・行動の低下がひきこもり状態を招いていると思うと、知らず知らずのうちに“引き算的ストレス”を溜め込んでいるように思うんですね。
そういう意味でちょいカラサロン・ちづるをご利用いただきたいと思います。😊