市民活動とあぶない正義 ~こども食堂でケンカする大人たち
 

こども食堂は「恵まれない子どもたちのために」といった「施し」の色がどうしても強くなりがちです。また、実際に現場の人たちの話を聞いてみると、仕事以外の自己表現の場として、「自分の正義を体現したい」というモチベーションで活動している人が結構多いようなのです。

 

「食事をつくる人も楽しむ」ということです。食事に困っている子どもたちのためとか、貧困をなくすためという大げさな正義を大上段に構えるのではなく、まずはつくり手自身が得意の料理の腕で提供してもらった食材を活かし、楽しみながら運営できる場を目指しました。そのような趣旨で声をかけたら、賛同するお母さんたちが毎回10人以上集まってくれました。

 

自分たちが「楽しい」と思って取り組めることが、こうした市民活動の裾野を広げていくためにとても大切なことだと思います。
 
最初から「施し」の色が強くなることに違和感があるのは、正義の意識が強くなると、自分たちの勝手な理想で市民同士の衝突やトラブルを引き起こし、市民活動を窮屈であぶないものにしてしまいかねないからです。

 

記事は子供食堂に関するものですが、根底に『施してやる。』というココロは簡単に見透かされてしまうようです。
どんなに取り繕ってみたところで『ココロは言葉・態度となって表れるもの。』
 
ちょいカラサロンを始めて3ヶ月。

 

 
行き違いはありましたけれど、あれから10日。
毎日のようにご利用をいただけるほど仲良くなれたのは嬉しいこと!
 
フレイル予防は私たち自身の為でもありますしね。
人生の達人のポジティヴさをお勉強させてもらっている。という私たちのココロはきちんとお伝えできているようです。

 
本日ご利用下さいましたお客様にも「ここがイチバン!」と仰っていただくことができましたが、これは利用料金のことではないようです。
 
想いは行動に移さなければ形として見ていただくことはできないと思うとまだ3ヶ月ですが、続けて来て良かったと思うのでした。😊
 
ちょいカラサロンの運営にスポーツをした後の爽快感と似たような清々しさ、楽しさを感じています。
運営に関して人員が不足しているということはありませんが、このGW ギバー精神のある方にお手伝いをお願いしたいと考えています。
 
ただし。
施してやる。というココロによるお手伝い・ご寄付等はすべてご遠慮をさせていただきます。
 

 

「その仕事をせずにはいられない」という意義を見いだしていることが、ギバーであることの重要な条件だということです。自分にとって意義があること、楽しめることを単純に追求している。こういう状態まで来れば、ギバーは他人に与えるだけではなく、自分自身にも与えていることになります。しかも、その意義を感じるときに他人と自分が一体化し、他者に対する共感が生まれる。全然、自分を犠牲にしていない。
 
株式会社日立製作所HP
デジタルシステム&サービス統括本部コミュニケーション戦略本部
GIVE&TAKE-その3
自己利益と他者利益。

 

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