「ごちそうさま」の、その先に。|お金では買えない、人の気持ち。

今日、子ども食堂を続けているラーメン店の店主さんが、『ごちそうさま』という言葉について投稿し、
賛否を呼んでいるというニュースを読みました。

「『ごちそうさま』くらい言え」子ども食堂を続けるラーメン店主の投稿に賛否…本人が明かす真意「ほとんどの子は言ってくれます」

そのお店では、
中学生以下の子どもたちに無料で食事を提供されているそうで、
ほとんどの子どもたちは「ごちそうさま」と言って帰るそうですが、
中には何も言わずに帰ってしまう子もいるのだとか…

店主の方は、感謝を強要したいのではなく、
感謝する心を育んでほしいという思いから投稿されたそうで、

この記事を読みながら、
「ごちそうさま」という言葉について、少し考えてみました。

無料だからといって、何もかかっていないわけではない

子ども食堂では、食事を無料で提供されていますが、
無料だからといって、その料理に何の費用もかかっていないわけではありませんよね。

お野菜やお肉、お米もそうですし、
調味料や光熱費など、お店がお金を払って用意しています。

それだけではありません。

お料理には食材費だけでなく、
作る人の時間や手間もかかっています。

献立を考え、下ごしらえをして、
火を使い、味を整えてお皿に盛り付ける。

食べ終わった後には、食器を洗い、片付けなくてはいけません。

そうした一つひとつに、人の時間と労力が使われていて、
それらも料理の代金に含まれるものですよね。

無料というのは、
食べる人がお金を払わなくてよいということであって、
料理そのものに価値がないということではないと思うのです。

その費用や手間をお店が引き受けてくれているということを忘れてはいけないと思うのです。

「ごちそうさま」は、代金の代わりではない

無料で食事を提供したのだから、
お礼を言うべきだと言いたいわけではありません。

「ごちそうさま」という言葉は、
代金の代わりの言葉ではないと思うんですね。

お金を払って食べたときでも、誰かにご馳走になったときであっても、
食事を作ってくれた人が必ずいますよね。

食材を育てた人、運んだ人、料理を作った人。
目の前に出された一皿には、たくさんの人の仕事が関わっているはずです。

そのことに気づいたとき、
自然に出てくるのが「ごちそうさま」という言葉だと思うのです。

お金を払ったのだから、お礼を言う必要はない。
無料で食べたのだから、お礼を言わなければならない。

そんな単純な話ではないんですよね。

人の手間に気づけるかどうか

今回のニュースでは、子どもたちへの教育について、
さまざまな意見が寄せられているそうです。

確かに、家庭でどのような言葉を交わしてきたか、
周囲の大人たちがどんな姿を見せてきたかということは関係しているのかもしれませんが、
それだけで決まるものでもないと思うのです。

言葉にするのが苦手な子もいるでしょうし、
家庭では教わらなかったことを成長してから知る人もいると思いますし、
知らないまま大人になってしまったという人もいると思うと、

こうしたことは子どもだけの問題ではないように思うのです。

大人になってからも、
誰かが何かをしてくれることに慣れてしまうことがあります。

最初はありがたいと思っていたことも、
何度も繰り返されるうちに、いつの間にか当たり前になってしまう…

親しい間柄であれば、なおさらかもしれません。

でも、
何度してもらっても、その人の手間がなくなるわけではありませんものね。

人の手間や気遣いに気づけるかどうか。

それは、これまで人とどう関わってきたかによるのかもしれない。

私はそう思うのです。

お金を払うだけでは、得られないもの

ラーメン屋さんに行って、お金を払えばラーメンを作ってもらえます。

それが商売ですし、
美味しいお料理を提供することも、料理人として大切な仕事ですが、
食材費や調理にかかる手間とは別に、もう一つ大切なものがあると思うのです。

「この人に、もっと美味しいものを食べさせてあげたい」という気持ち。

長く通っているうちに、
お店の人が好みを覚えてくれたり、いつもとは少し違う工夫をしてくれたり。

そんな経験をされた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

「このお客さんは、これが好きだったな」
「今日は、こんなふうにしてあげようかな」

そうした心遣いというのは、
料金表に載っているサービスとは少し違いますよね。

もちろん、
初めてのお客様にも美味しいものを食べていただこうとするのが料理人の仕事ですが、
長いお付き合いの中で生まれる、その人のためのちょっとした工夫や気遣いには、
また別の温かさがあるように思うのです。

お客様がお店を大切にすることで、
お店もそのお客様を大切に思う。

そうしたお付き合いを重ねる中で、自然に生まれてくるものが、
料金表に載らないものなのでしょうね。

お金を払えば、料理を作ってもらうことはできますが、
その人の気持ちまで、お金で買えるわけではありません。

そうした心遣いは、何度受けたからといって、
当然のものになるわけでもないと思うのです。

作る人にも、喜びがある

誰かのためにお料理を作ることは、決して楽なことばかりではありませんが、
食べてくれる人が喜んでくれることで、作った人も嬉しくなると思うんですね。

「美味しかったよ」
「ごちそうさま」

何気ない一言で疲れが少し軽くなることもあるでしょうし、
お礼を言ってもらうために料理を作っているわけではないのでしょうけれど、
喜んでもらえたことが伝わると、もっと美味しいものを作ってあげたいと思うこともあると思うのです。

お誕生日のお祝いについて書かせていただきましたが、
祝われる人だけでなく、祝う人にも喜びがある。

お料理もどこか似ていると思うのです。

食べる人が嬉しい。
作った人も嬉しい。

そんな小さな喜びが、お互いの間を行き来する。

そういう関係になれると、
お互い幸せを感じられると思うのです。

「ごちそうさま」は、自分のためにもなる

ラーメン屋さん
ラーメン屋さんで食事を終えたとき、

「美味しかったです。ごちそうさま」

そう言って帰るお客様がいたら、店主の方も嬉しいと思うんですね。

何度も通ううちに、顔を覚えてもらったり、
ちょっとした会話が生まれたりするかもしれません。

そして、いつの間にかお互いに親しみを感じるようになることもあると思うのです。

先日、2年ぶりにお邪魔したラーメン屋さんでは、
店主の方が私たちのことを覚えていてくださいました。

どうして覚えていてくださったのかは分かりませんが、
当時、私たちが何度も「美味しいね」と言いながら食べたことを覚えていてくれたのかもしれません。

お店の人も人間ですものね。

何をしてもらっても当たり前という態度でいたとすれば、
相手も次第に距離を置くようになると思うのです。

もちろん、
お金を払ってくださるお客様にはきちんとサービスを提供されるとは思いますが、
仕事として接することと、その人を心から大切に思うことは必ずしも同じではありませんものね。

「ありがとう」や「ごちそうさま」は、
相手のためだけの言葉ではないと思うのです。

その一言が人と人との距離を少し近づけてくれる。

親しみが生まれ、また会いたいと思ってもらえる。
そう考えると、感謝の言葉は巡り巡って自分自身のためにもなると思うのです。

反対に、
人の気遣いを当たり前にしていると、知らないうちに人が離れていくことだってあるはず。

本人は何も困っていないつもりでも、
気づいたときには、心を許して付き合える人が少なくなっている。

それは、少し寂しいことですよね。

人は、一人だけでは生きていけません。

だからこそ、誰かが自分のためにしてくれたことに気づき、
その気持ちを言葉にして伝える。

そんな小さな積み重ねが、人とのつながりを育てていくのだと思うと、
子どもたちにも、そんな経験を重ねてほしいと思うのです。

「ありがとう」が自然に行き交う場所

人には、それぞれの性格があります。

感謝の気持ちを言葉にするのが得意な人もいれば、苦手な人もいると思います。

言葉がないというだけで、その人の心を決めつけることはできませんが、
思っているだけでは、いつまでたっても相手に伝わらないことってありますよね。

私たち自身も、
誰かの親切や気遣いを当たり前にしてしまわないようにしたいと思っています。

いつもしてくれるから。
親しい間柄だから。

お金を払っているから。

そんな理由で、誰かの時間や手間、
そして自分のために何かをしてあげたいと思ってくれた気持ちまで、
見えなくなってしまうのは寂しいことですものね。

「ありがとう」を言わない人に腹を立てることよりも、
「ありがとう」と自然に言い合える人との時間を、どれだけ大切にできるか。

今日のニュースを読みながら、そんなことを考えました。

誰かのために何かをすることも、
誰かに何かをしてもらうことも、私たちの日常にはたくさんあります。

その一つひとつを、当たり前だと思わずに過ごしていきたいものですね。

ちづるも、そんな小さな気遣いが自然に行き交う場所でありたいと願っています。

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