天草に行って実感したことは『お越し下さることの有り難さということ。』
距離・時間ということもありますけれど、近くても遠くても。
わざわざお運びくださるんですものね。
呼んで下さればどこへでも飛んで行きたい。と思うほど閑散とした日々を過ごしていますが、
ご来店下さることのありがたみをしみじみ感じた一日。
お店を開けていればお越しいただける。というのは大きな間違い!
お越しいただけるだけの価値を私たちが備えておくことはもちろん、常に感謝の気持ちを忘れることなく精一杯努めるということ。
これを丁寧に重ねて行くということ。
感謝の気持ちは私たち自身のココロの中。
これを形にしてご提供させていただくこと。
忘れることなく続けていくことで生かしていただけるというのでしょうか。
お店を運営する私たちが生かされるのではなく、お店を生かしていただけることで運営する私たちも生かされている。という理解をしています。
ですので、私たちが生かされることでお店が生きている。って、似たようなことですけれど、私には全く異なるように感じていて、ですので、隅々までしっかりお掃除をすることもそうですけれど、お店を生かしていただけるよう、お客様に愛していただけるよう、お店を運営する私たちがちづるを大切に育てていくことだと思うのです。
利益の配分ということもそうですが、
経費の支払いで精一杯ですから、利益の配分をできるほどではありませんし、その配分もおかしいのですが、
お店が死んでしまわないようにすることで私たちは生きていられるんですものね。😊
これは費用以外のココロということでも同じで、時間や欲?
年齢ということもありますし、欲、、、
何かをしたい。ということはもうほとんどありませんしね。
生かすことで生かされている訳ですから、私欲は強すぎていけないというか、
私欲自体残っていない状態。
私心ということなのだろうと思いますが、ちづるとお店を運営する人ということで同じといえば同じようなものですが、お店と個人。
お店にはご利用下さるお客様も含まれていますから、私心・私欲はその次の次。ということで、そのどちらがパッと頭に浮かぶのか。ということだと思うのです。
だなんて、お店と個人が一体化している訳ですから、私心・私欲共に満々ということですが、
より良い時間をお過ごしいただきたいというのはお店も個人も同じですから、それをいつまで続けられるか。と思うと、足りないものだらけのちづる、、、
ひとつずつ備えている間に時間切れになってしまうかも。😅
今日もダラダラと書いてしまいましたが、お客様にご来店をいただけることというのは本当にありがたいことで、決して当たり前のことではない。ということを改めて感じた一日。
忘れることのできない一日を過ごすことができました。