大人の遠足での、ある出来事
先日、「大人の遠足」で出かけたときのことです。
参加されたお客様の中に、
あまり食欲がないという方がいらっしゃいました。
普段から、食べることにはそれほど関心がないようなのですが、
その日の昼食では、おうどんとカレーライスを召し上がられ、
「みんなで食べると美味しいね」
食欲がないと言っていた方が、
みんなと一緒に食事をすると、こんなにも食べられるんですものね。
安心したと同時に、その言葉がとても心に残りました。😊
もちろん、
その日の体調やお料理の美味しさもあったと思うのですが、
それだけではないような気がしたんですね。
同じ料理でも、
一人で食べるのと、誰かと一緒に食べるのとでは何かが違う。
そんなことを、改めて考えさせられました。
食べるものには困らない時代なのに
今は食べるものに困ることが少なくなりました。
スーパーに行けば、いろいろなお惣菜が並んでいますし、
コンビニでも、手軽にお弁当などを買うことができます。
美味しいお料理を食べられるお店もたくさんあって、
食べたいものを、一人で気兼ねなく食べることができる。
それも、一つの楽しみ方だとは思うのですが、
食べたいものが手に入ることと、食べる時間が楽しいことは必ずしも同じではないように思うんですね。
一人なら、好きなものを好きなように食べることができますよね。
誰にも合わせなくてよいですし、会話をする必要もなくて、
その気楽さが好きだという人もいらっしゃると思います。
けれど、
大切だと思える人と一緒に食べることで、
生まれる楽しさもあると思うのです。
何でもない話をする。
同じお料理を食べて、「美味しいね」と言う。
色々なお話をしながら、楽しく食事をする。
食事って、栄養をとるだけの時間ではないのだと、
私たちは思うのです。
実際に一人で食べる場合と、誰かと一緒に食べる場合では、
食事の美味しさや満足感に違いがあるという研究もあるそうです。
同じように食事をしていても、
誰かと一緒に食べる方が、美味しく感じられることがあるんですね。
料理の味だけではなく、
一緒に食べる人や、その場の雰囲気も、
食事の美味しさに関係しているのかもしれませんね。
日本食育学会誌「一人での食事とインターネットを介した食事ではどちらがおいしいか?」
叔母の家で食べた、塩ご飯
子供の頃の思い出なのですが、
叔母の家に遊びに行き、そのまま夕食をご馳走になったことがあります。
いつもとは違う、賑やかな食卓。
そのとき叔母が、
「昔はこんな食べ方をしたんだよ」
そう言って、ご飯にお塩をかけてくれたのですが、
それがとても美味しく感じたんですね。
普段はご飯をおかわりすることなどなかった私がおかわりをしたので、
叔母はとても驚いていました。
何十年も経った今でも、
「あのとき、ご飯に塩をかけて喜んで食べてたよね」と、
笑いながら話してくれるのですが、今になって思うんですね。
本当に美味しかったのは、お塩をかけたご飯ではなくて、
叔母の家の賑やかな食卓が楽しかったのだと思います。
みんなと一緒に食べることが嬉しくて、いつもよりご飯が進んだ。
そう思うのです。
お塩をかけたご飯の味は覚えていませんし、
今、お塩をかけたご飯をいただきたいとは思いませんが、
あの食卓のことは、今でもハッキリ覚えています。
山の上で食べた、ゆで卵
何十年も前、
ママと山へ出かけたときにも、似たようなことがありました。
ロープウェイで山頂近くまで行き、景色のよい場所に腰を下ろすと、
ママがバッグから銀ホイルに包んだゆで卵を取り出して、
景色を眺めながら、ゆで卵を食べたことがあるのですが、なんとも楽しかったんですね。
近くにいた若いカップルが、
「どこに売っているんですか」と尋ねてきましたので、
買ったものではなく、持ってきたものだと説明し、
二つ分けてあげると、とても嬉しそうにしていました。
その二人はお腹が空いていたのではなく、
私たちが楽しそうに食べているのを見て、
自分たちも同じように食べてみたくなったのではないかと思うんですね。
景色のよいところで、大切な人と一緒に食べる。
その楽しそうな時間に、心を動かされたのかもしれませんね。
鹿児島空港で食べるお弁当
以前、
鹿児島空港の展望デッキへ、お弁当を持って出かけたことがありました。
空港のサイトにはピクニックを楽しむようなことも書いてありますが、
実際にお弁当を広げている人を見かけることはありませんでした。
いい歳をして、
何をしているんだと思われるかもしれないのですが、
それがうんと楽しくて、美味しいんですよね。
これは、安上がりな食事、遊びを楽しもうというものではなくて、
私たちにとってのスペシャルな時間なんですね。
大切な人と一緒なら、
どこにいても楽しく、美味しく感じることもできると思うのです。
でも、一人だったら、
きっとこんなことはしないと思うんですね。
飛行機が飛び立つのを見て、
お弁当を食べながらいろんな話をして笑う。
そんな時間が、いつまでも心に残っているのだと思います。
「外で弁当を食べると美味しいだろうね」
最初にお話しした方ですが、
後日、こんなこともおっしゃいました。
「弁当を外で食べると美味しいだろうね」
その言葉も忘れられません。
どんな気持ちでそう話されたのかは分かりませんが、
私たちのように、お弁当とは別の楽しさを想像されたのではないかと思ったんですね。
外の空気を吸いながら、
誰かと一緒にお弁当を食べるというのは、
レストランで高価なお料理をいただくこととは、また違った楽しみ方ですものね。
買ってきたものではなく、
自分のために用意してくれたお弁当なら、なおさら嬉しさを感じられると思うのです。
食べ物だけで満たされるのではなく、
誰かと過ごす時間。
誰かと一緒に笑うこと。
そんなものを求めていることもあると思うのです。
何を食べるかよりも
歳を重ねると、
食事も旅行も、少しずつ豪華にされる方がいらっしゃいますよね。
立派なレストランの評判のお料理。
豪華なホテルに宿泊したり、豪華客船の旅を楽しまれる方もいらっしゃるようで、
頑張って働いてこられたのですから、そうした楽しみ方も素敵だと思うのですが、
私は、それだけが豊かさではないと思うんですね。
叔母の家で食べた塩ご飯もそうですし、
ママと山の上で食べたゆで卵もそう。
料理そのものは特別なものではありませんが、
私にとっては、今でも忘れられない食事です。
誰と食べるか。どう食べるか。
誰と過ごすか。どう過ごすか。
それによって、
何でもない食事や出来事が、何十年も忘れられない思い出になることってあるんですよね。
美味しいね、と言い合える時間

歳をとれば、一人で食事をする機会が増える方もいらっしゃると思います。
気兼ねなく食べられる時間が、心地よいこともあると思うと、
一人で食べることが悪いこととは思わないのですが、
毎日の食事が、
ただお腹を満たすだけのものになっているとしたら、
誰かと一緒に食べてみると良いと思うのです。
食事を楽しむ方法は、美味しいお料理を探すことだけではありませんものね。
食欲がないと言っていた方が、
うどんもカレーライスもきれいに食べることができたこともそうですし、
「みんなで食べると美味しいね」という、言葉を聞いて、
子供の頃の塩ご飯を思い出しました。
あのときの私も、同じだったのかもしれません。
お腹が空いていたから、
おかわりをしたのではなく、みんなと食べることが楽しくて、
もっと食べたくなったんでしょうね。
食事だけに限らないと思います。
お買い物だってそうですし、ちょっとしたお出かけだってそう。
ドライブや旅行でしたら、なおさら楽しく感じるのでしょうね。
誰がそのお相手なのかということだと思いますが、
時間を共にする人には、そんな不思議な力があるのかもしれません。
決して、豪華な料理である必要なんかなくて、
特別な場所でなくてもそれで十分。
誰かと一緒に食べて、笑って、
「美味しいね」と素直な気持ちでいられること。
そんな時間が、人生には必要だと思いますし、
私たちは今でも、そういう時間を大切にしています。
「こんなよい月を一人で見て寝る」
一人で眺める月も美しいのでしょうけれど、
大切な人が隣にいて「きれいだね」と言い合えたなら、
その夜のことはずっと心に残るのかもしれませんね。
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