定年後、行く場所はあっても、会いたい人がいない。|居場所と居心地について

「今日も、地元の友達とぐだぐだ飲んでたら1日が終わっちゃいました」年金月22万円・退職金1,800万円の元会社員67歳夫、定年後、家に居場所なく…。リビングのソファーに鎮座する“鬼”の恐怖

定年後の健全な生活設計と居場所づくりにおいては、飲食店での長居に依存するのではなく、図書館や地域の公的施設、シニア向けのスポーツクラブ、趣味のサークル活動やボランティアなど、低コストで継続的に滞在できる「第三の場所」を複数持つことが効果的です。さらに、妻にいわれて行う「お手伝い」ではなく、ゴミ出し、庭の手入れ、特定の料理や買い出しなど、自身が責任を持って引き受ける明確な家事の役割分担をつくることで、家庭内での居心地や発言権のバランスが改善するかもしれません。

公的施設がいけないとは思いませんが、
こうした場所が第三の居場所にならないというか、
居心地の良い場所と感じられない方もいらっしゃると思うのです。

というか、
そういう方が多いように感じていますし、
特に地域の交流活動などでは、男性の参加が少ないことも課題として挙げられていますよね。

記事内には、「安価なサワーやメガハイボールを頼み、枝豆やフライドポテトをつまみながら、
現役時代の思い出話や世間話を延々と繰り広げる時間。」と、あまり好ましくない時間のように表現されていますが、
個人的には、こうした時間の方が楽しいのだと思うんですね。

もちろん、そうした毎日を送っていれば、
ご自身でも自堕落な生活だと感じることはあるかもしれませんが、
楽しいと感じられないようなことなら、続かないでしょうし、
参加したいなんて思わないでしょうからね。

個人的には、そんな時間を楽しみながら、
やりたいことを慌てることなく、見つけていけば良いと思うのです。

奥様との関係についてもそうですけれど、
家事の役割分担を決めることが悪いとは思いませんが、
それだけで居心地が良くなるとも限らないと思うのです。

長年続いてきた奥様の生活のリズムもあるでしょうから、
まずはそのリズムを尊重して、頼まれたことを嫌な顔をせずに引き受けることはもちろん、
自分にできることは自分でするという、そんな気遣いの方がうんと喜んでいただけると思うんですね。

定年後だからといって、
誰かが決めた「正しい老後」を生きる必要なんてないと思うのです。

『老後』という言葉を使っていますが、
私が考えているのは、定年後の暮らしについてです。

定年後、することがない。
そういう方が多いように思うんですね。

「健康のためにスポーツクラブへ行きましょう」
「地域の活動に参加しましょう」
「ボランティアで社会に貢献しましょう」
地域活動フェアで戸惑う男性
そうした呼びかけをたくさん目にしますが、
誰かの役に立つ必要もなければ、何かを学ばなくて良くて、
無理に健康づくりを意識する必要もないと思うのです。

定年したからといって、
生活まで無理にシニア向けに合わせる必要はないと思うのです。

厳しいことを書かせていただきますが、
何もすることがなくて手持無沙汰という男性は本当に多いと感じていて、
居場所があることと、居心地が良いことは、全く別のお話だと思うのです。

いくら行く場所があっても、
そこが居心地の良くない場所なら、わざわざ足を運ぼうだなんて思わないですものね。

そう考えると、
何もすることがないというより、行きたいと思える場所がない。

そういう方も少なくないのではないでしょうか。

その居心地の良い場所が、案外少ないというのも現実ですし、
家にいても居心地が良くないという方も、少なくないようですしね。

家にも居場所がないし、
外にも行きたい場所がない。

それでは、毎日が長く感じられてしまうのも無理はないように思うのです。

それに、
定年後の生活は、会社員時代のように、
同じ世代の人たちが同じ時間帯に、同じ建物の中で過ごしているわけではないと思うと、

定年というのは、居場所だけでなく、
人と会うための共通の時間まで失われることがあるということなのかもしれないですね。

退職後の生活は、人それぞれ。
毎日のように顔を合わせていた同僚とも、会おうと思わなければなかなか会えなくなってしまうようですし、
会おうと思ったとしても、共通の時間がなくなることで、なかなか会えないようですしね。

同じ時間を過ごしていた人たちが、
それぞれ別の時間を生きるようになるんですものね。

そう考えると、
定年後の居場所というのは、単に出かける場所を見つければ良いだなんて
そんな簡単なお話でもないように思うのです。

「安価なサワーやメガハイボールを頼み、枝豆やフライドポテトをつまみながら、現役時代の思い出話や世間話を延々と繰り広げる時間。」

個人的には、こういうことだと思うのです。

現役時代には、お仕事がありましたからね。

お仕事を終えて、気の合う仲間と飲んだり、食事をしたり、他愛ない話をして笑ったりする。
そんな時間が、1週間の中に何度かあった方も多いと思うのです。

それが、定年退職したからといって、全く必要なくなるとは思えないというか、
そういう時間を作らないといけないと思うのです。

仕事から解放されても、
人と話したい気持ちや、誰かと笑って過ごしたい気持ちまでなくなるわけではないと思うのです。

むしろ、そういう時間こそ、
日々の暮らしに潤いを与えてくれる、
エンジンにとっての潤滑油のようなものだと思うのです。

人の暮らしもエンジンと同じで、
潤滑油がなければ、いつか動かなくなってしまうでしょうし、
エンジンを回さずにいれば、潤滑油は時間とともに劣化してしまいますものね。

子供が巣立ったり、介護が始まったり、
家族の形も、暮らしのリズムも、少しずつ変わっていきます。

だからこそ、今ある時間を一人ではなく、
誰かと楽しむことも大切なのだと思うのです。

これまで3回、昼スナックの営業をさせていただきましたが、
どなたも1曲も歌われることなく、ずっとお話をされていて、
私たちの考える昼スナックは、単なる娯楽の場所というだけではなく、
時間を共有できる、居場所のひとつになることができるかもしれない

そんなことを感じました。

居場所は用意するもの、されるものというより、
一緒に過ごす人、時間の中で自然に生まれてくるもので、
人は一人で生活することはできても、誰からも理解されずに生きていくのは難しいのかも…

あなたにとって、
心地いいと感じられる場所と、人が見つかりますように。

おしまい。

出張や観光で霧島に来られた方で、
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