鹿児島県霧島市国分で「ちょいカラサロン」を始めて、もうすぐ2年。
続ける中で感じているのは、
カラオケそのものより、「人と会うこと」「気にかけてもらえること」のほうが、
シニアの居場所には大切なのかもしれない、ということで、
今日もちょっと長くなりそうなんですけれどね。😅
思っていることを書いてみたいと思います。
シニアの居場所って、そもそも何だろう。
ちょいカラサロンは、カラオケが中心のお店です。
形だけを見れば、カラオケ喫茶のようなものだと思います。
フレイル予防ということを意識して始めましたが、
2年近く続けてきて感じているのは、カラオケは一つの手段に過ぎないのでは…
ということです。
カラオケをするためだけの場所ではない
ちょいカラサロンには、
普段からカラオケ喫茶を利用されている方は、ほとんど来られません。
カラオケ喫茶は、歌をたくさん歌いたい方や、
歌うことそのものを楽しみたい方にとっては、楽しい場所だと思いますが、
ちょいカラサロンへ来てくださる皆さんを見ていると、
「たくさん歌いたい」ということより、
「みんなと楽しく過ごしたい」という気持ちのほうが強い方のご利用が多いように感じるんですね。
歌いたいと思われる日は歌われていらっしゃいますし、
お喋りしたいという気分の時もあるでしょうしね。
人の歌を聴いているだけで満足という方もいらっしゃいますが、
それで良いというか、その方が良いと思っています。
人が集まれば「居場所」になるのだろうか
商業施設の休憩スペースのほか、
霧島市でも、シニアが集まれる場所が用意されています。
市の図書館など、自由に過ごせる場所もありますし、
そういうところへ行けば、同じくらいの年代の方が集まっているのを見かけますしね。
ですが、
人が集まっていることと、
そこがその人の「居場所」になることは、少し違うのでは…
そんなことを思うのです。
社交的な人でしたら、自分から話しかけて知り合いをつくることができるでしょうし、
そこからお付き合いが始まることもあると思いますが、
みんながそうではありませんものね。
人付き合いが苦手な人の場合、
人がたくさんいる場所へ行ってみても、
一人になってしまうことがあるようですしね…
商業施設の休憩スペースに、毎日のように同世代の方々が集まって、
一日テレビを見て過ごしているという方のお話を聞いたことがあります。
同じ年代ですから、それほど気を遣う必要もないそうですが、
それでも、あまり楽しくはないのだそうです。
それなのに、またそこへ行くのだそう…
理由を聞いてみると、
「同じくらいの歳の人がいるから」とのことでしたが、
私は、この話がずっと気になって仕方ありません。
一人で家にいるより、誰かがいる場所にいたいというのは、
そこに安心感があるからなのだとは思いますが、
「あそこへ行けば誰かがいる」というだけでは、
楽しい場所にはならないのだと思います。
みなさん、「自分の話を聞いてほしい」と思われているみたいなのですが、
みんなが自分の話だけをしようとすることから、なかなか会話が続かないようで、
結局、あまり喋ることなく、みんなでテレビを見て過ごしているのだそうですが、それでも通うのだそうです。
それを聞いて思ったのは、「行きたい場所」なのではなく、
「ほかに行く場所がない」ということもあるのかもしれないということなんですね。
ちょいカラサロンだって、何もしなければ同じだと思っていて、
社交的な人だけがしゃべり続ける。歌が好きな人だけがずっと歌っている…
これでは、場所を用意しただけに過ぎませんものね。
なのでママは、
テレビ番組の司会者のような役割をするように心がけているそうで、
これは、ちづるでも同じようにしているそうです。
よく喋る人の話を聞いて、別の人へ話を振る。
あまり喋っていない人がいれば、その人も入れそうな話題を出してみる。
誰かが歌えば、みんなで楽しめるようにして、
話が途切れれば、また別の話へつないでいく。
ママがしているのは、こんなこと…
スナックでは見かけることはありますが、
高齢者の集まりで、こういう形の運営をあまり見たことがありません。
私たちの知らないところには、似たような取り組みをされているところがあるのかもしれませんね。
「こんなに明るい人だとは思わなかった」
ちょいカラサロンには、お友達に誘われて来られる方もいらっしゃいますが、
何度か来られるうちに、少しずつ変わっていくことがあります。
歌ったり、喋ったり、大きな声で笑ったり。
あるとき、その姿を見た長年のお友達が、
「何十年もお付き合いをしてきたけど、あんなに明るい人だとは思わなかった!」と話されたことがありました。
私は、同じような話をこれまで何度か聞いていて、
こうした言葉がとても印象に残っているんですね。
その方は、ちょいカラサロンへ来て、
明るい人になったわけではないと思うのです。
もともと、その人の中にあったものが出てきただけに過ぎなくて、
その人らしい自分を出せる場所が、少なくなっていただけだと思うのです…
「ママさん」から「〇〇ちゃん」へ
ちょいカラサロンを始めた頃、
お客さんはママのことを「ママさん」と呼んでいましたが、
今では「〇〇ちゃん」と呼んでくださるようになりました。
たったそれだけのことなのですが、
これは、私たちにとって大きな変化でした。
「ママさん」という呼び方には、
どこかお店の人とお客様という距離を感じますし、
「夜のお店のママ」というものも残っていたように思うんですね。
ちょいカラサロンのお客さんを見ていて、
スナックという夜の仕事に対する先入観もあったのではないかと感じていましたが、
皆さんと打ち解けるまでには、思っていた以上に時間がかかりました。
でも、一緒に歌って、一緒に笑う。
くだらない話もして、
ときには心配したり、心配されたり…
そうした時間を重ねていくうちに、「スナックのママ」ではなく、
一人の人として付き合っていただけるようになったのかな。って、そんなふうに感じています。
ママがこれまで生きてきた人生の経験もそうですし、
ちづるでいろいろなお客様と接してきた経験が、
思いがけず、ちょいカラサロンでも役に立ったのかもしれません。
場所と人員と企画だけではつくれない
シニアの居場所をつくるというと、
場所を用意して、人を配置する。
楽しい企画を考える。
そんなことを思い浮かべますし、
それも大切なことだと思うのですが、
ちょいカラサロンを2年近く続けてきて感じているのは、
「場所と人員と企画を用意すれば、それだけで居場所ができるものではない」
ということなんですね。
この人になら話してもいいし、
ここなら自分を出してもいい。
またあの人たちに会いたい。
そう思ってもらえるような関係って、お店を開いたその日からできるような、
そんな簡単なものではなくて、うんと時間がかかりました。
もっと良い取り組みがあるのかもしれませんが、
実際に皆さんと2年近く一緒に過ごしてきて、少しずつ見えてきたのは、
「健康のために外へ出ましょう」と言うだけでは、なかなか続かないということです。
外出そのものが目的ではなくて、
その先に楽しみがなくては、続かないんですね…
「今日は、ちょいカラサロンに行こう」と思って、着替えて身なりを整え、
外へ出て、歩いて人に会う。
「今日は何を話そう」
「あの人に、この話をしよう」と考える。
会えば、相手の話を聞いて、自分の考えを言葉にする。
バカ話をして笑ったり、
いつもより少し大きな声を出してみる。
ちょいカラサロンへ来てくださる女性の皆さんを見ていると、
歌を歌いに来たというより、「人に会いに来た」という感じがするんですね。
人に会うということは、
自分自身を整える理由にもなると私たちは考えていますが、
怖いのは、
「もう人からどう見られてもいい」という感覚です。
誰にも会わないから、昨日と同じ服でいいし、
出かけないから、髪も適当でいい。
男性でしたら、ひげも剃らなくていい。など、
どれも小さなことなのですが、
こういうところから少しずつ、社会との距離が広がっていくこともあるような気がしています。
これは、若作りをしようという話ではありませんし、
高価な洋服を着ましょう、という話でもなくて、
人に会うから、ちょっと自分を整える。
これは以前にも書かせていただいていますが、それだけで全然違うと思うのです。
健康になるために人と会うのではなく
シニアの皆さんに現役世代と同じ運動量が必要だと私たちは考えていません。
もちろん、筋トレやスポーツそのものが趣味という方は別ですが、
その人の年齢や体力に合った分だけ、身体を動かすことだと思っていて、
それよりも大切なのは、
身体を動かす理由が、毎日の生活の中にあることだと思うのです。
健康になるために人に会うのではなく、
人に会いたいから出かける…
結果として、
歩く。喋る。笑う。が自然と繋がると思うのです。
頭だって使うでしょうし、
声だっていつもより少し大きく出そうとされるでしょうしね。
そんな毎日の小さな積み重ねが、フレイル予防につながっていくのではないかと思っています。
お金は貯められても、元気な時間は貯められない
「1,000円払うくらいなら、そのお金で肉や魚を買ったほうがいい」
そうおっしゃる方もいらっしゃいますが、
それも一つの考え方だと思います。
それぞれの暮らしがありますから、
何にお金を使うかは、その人自身が決めることだとは思いますが、
お金を貯めることはできても、
「元気な時間は貯めることができない」んですよね。
今日使わなかった一日を明日二日分使うことなんてできませんものね。
歳を重ねれば、
元気に外へ出られる時間だって、いつまでも続くとは限りません。
だったら、元気なうちに人に会って、喋って、笑って、
「今日も楽しかった」と思って過ごす。
こうしたことも、
私は悪くないと思うのです。
こうした時代ですから、もちろん、お金を残すことも大切だと思いますが、
元気な時間をどう使うかということも、同じくらい大切なことだと思うのです。
私たち自身の老後を考える
こんなことを考えるようになった理由には、私たち自身の老後もあります。
私たちも、シニアと呼ばれる年代ですが、
もう少し歳を重ねたとき、私たちの世代はどこへ行くんだろう。
そんなことを考えると、
怖くなることがあります…
私たちの世代がさらに歳を重ねれば、
楽しみ方だって変わると思うのです。
カラオケが良くないということではありませんが、
今のような「カラオケ喫茶」という形だけでは、
私たちの世代には十分ではないような気がするんですね…
ちづるとちょいカラサロンを続けてきた中で感じているのは、
「会話があること」と、「自分のことを気にしてくれる人がいること」
ということで、これは私たちの世代でも同じことが言えるというか、
そうした需要は高くなっていくと思うんですね。
もう一つは、
「自分は取り残されていない」と感じていられることだと思うのですが、
じゃあ、これから必要な場所って何だろうと考えたとき、お酒を扱わない「昼スナック」的なもの?
もしくは「シニアサロン」?なのかなって…
なんですけれど、
「シニア」と呼ばれることを嫌う方もいらっしゃいますし、
年齢だけでひとまとめにされたくはないでしょうしね。
ぼんやりと形だけは見えてきましたが、
同じ時代を生きてきた人たちが気軽に集まることができて、
直接顔を合わせて話したり、情報交換ができる。
人付き合いが得意な人だけではなく、
自分から輪の中へ入ることが苦手な人であっても、取り残されることのない場所…って、
そんな場所は理想に過ぎないのかもしれませんが、
ちょいカラサロンを運営する中で考えています。
ちょいカラサロンも、まだ途中です
ちょいカラサロンのような取り組みは、
商売として考えれば簡単なことではなくて、
いつ閉めようかと考えたことは、何度もありますし、
今でも判断に迷うことがあります。
偉そうな言い方にはなりますけれど、
「ここをなくしたら、この人たちはどこへ行くのだろう」ということも思うのです。
なくなったところで、
たいして影響はないと思っていたのですが、
以前、お客様から、「こんな年寄りを相手にしてくれて、本当にありがとう」
という言葉をいただいたことがあって、
その言葉を聞いたとき、涙がこぼれそうなほど悔しく感じたんですね。
人が本当に求めている「居場所」というものは、
座れる椅子があることでも、立派な施設があることでも、
楽しい企画が用意されていることでもないと思うのです。
「自分のことを気にしてくれる人が、そこにいて、
自分も誰かを気にかけることができる。」
家族や夫婦、友人との関係がそうであるように、
そうした関係の中にいられることを、「居場所」と感じられるのかもしれないと思うのです。
もっと良い形があるのかも知れませんし、
ちょいカラサロンが、その答えだなんて思っていません…
今のカラオケという形だって、
そう遠くないうちに変わっていくと考えています。
カラオケは、一つの手段に過ぎませんものね。
私たちが考えているのは、
歳をとっても、自分が自分のままでいられるそんな場所…
「私はまだ、みんなの中にいるんだ」
そう思える場所って、どんな場所なんだろう。
ちづるを始める前だったと思います。
シニアが通う、昼カラオケのお店を見て、
「見ててごらん。年寄りがどんどん吸い込まれていくから」と言われたことがあります。
私たちは、冗談であったとしても、
そんな言葉を聞きたくないんですね。
歳をとった人が集まることを、
そんなふうに見られる場所にもしたくありません。
歳を重ねても、歌って、笑って、喋って、
誰かを気遣い、誰かに気遣ってもらう。
ごく普通のこと、当たり前だったことを、
いつまでも楽しむことのできる当たり前の場所でありたいと思っています。
今ここに来てくださっている皆さんと一緒に過ごしながら、
もう少し、この場所を続けてみたいと思っています。
廃業にならないように。😊
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