「引きこもりの男性」を別人に変えた小さな習慣
92歳のシスターが説く「足るを知る」ことの意味
小さなきっかけに過ぎませんが、踏み出した本人の勇気だと思うのです。
巡り合わせというか、引き合わせというか、良い縁に出会えたことは何よりの幸せ。
今日はそんなお話をさせていただこうと思います。
捻くれていたというか、素直さに欠けていた私。
人を疑うということまではありませんでしたが、情けを乞うなんてとんでもない!
すがるくらいなら自分自身でどうにかしたい。
人に迷惑をかけてはいけないという父の厳しすぎる教え。
バカな私の勝手な解釈からおかしな風になってしまったと思うのですが、そうした私のあり方が辛い時に手を差し伸べてくれる人、ヒントを与えてくれる人との縁を遠ざけていたのだと、、、
その分、自分自身で解決させなくてはいけなかったことは学ぶことも多くて、振り返ってみても能力ということでは良かったと思うのですが、私のことを思ってくれる人との縁を大切にできていたら遠回りをすることはなかったのかな。とも思ったりするのですが、こうした巡り合わせ・チャンスというのは本当に必要な時に神様が遣わせて下さるものだという思いもあって、リンクにある引きこもりの男性にとっては、その出会いが”聞くことができるとき”だったのだと思います。
ですので遅かったということは思わなくて、聞くことのできるタイミングにあるかないか。が大切なことで、それは苦労というか、辛い思いをどれだけしたか。
思いが強くならなくては行動に結びませんから、シスターの提案を素直に受け入れることができたときがその人にとっての”その時”なんだろうなぁと。
いずれにしても人生が上向くことは嬉しいことで、雪だるまのようにコロコロと好転していって欲しいな。と思うのです。
さて、生意気盛りを過ごしすぎた私。
助言して下さる人はいましたが、タイミングではなかったのでしょう。
もっと辛い思いをしなさい。ということだったと思います。
そんな私が変化できたのがママとの出会い。
私に備わっていないものすべてを持っている彼女との出会いは私の人生を大きく変えるものになりました。
どちらかと言えば裕福な家庭に育った私。
極貧状態で育ったママとは何から何まで正反対、、、😅
彼女が直接、私にアドバイスをくれることはありませんでしたが、人生を心豊かに過ごしている彼女を見てお勉強をさせていただきましたが、モノマネはやっぱりモノマネ。
形はできても成果は全然違うもので、どこに違いがあるのか分からなかったのですが、彼女は何をするにしても自分のことは一番最後。
当時の私は抱えている問題も多くて、どうしても優先せざるを得なかったのですが、ママはとてもシンプルな考え方で生きていて、自分自身のことはもちろん、ご家族のことよりも他人のことを大切に考えるというか、行動をしてしまうのんですね。
それは今でも変わらないことで、そのことで辛い思いをすることもあるようですが、それとは違う方向から幸せが届くとでもいうのでしょうか。
これは自身の幸せを狙ってのことではなく、彼女の性格的なことによることで良い結果、ご縁、タイミング、良い巡り合わせということで考えると”動機が大切”なんだと少しだけ理解することができました。
会計を担当している立場としては、能力に乏しくお客様からも不評のスタッフを雇用し続けることに抵抗を感じていましたが、ママは『私たちがお願いして来てもらったんだものね。いくら問題があったにしてもこちらの勝手で辞めてもらうというのはいけない。』と雇用し続ける考えでいたようですが、戦力ということで考えると、夜の相場での雇用はその価値に満たないことから相場のギリギリによる支払いを続けることに。
しばらくして、雇用関係を継続することが困難だと思えるほどの問題を起こしたことで契約の打ち切りを判断することになったのですが、こういうことなんだと思うんですね。
それまでスタッフの募集をしても、知人に声を掛けてみてもどうにもならなかった求人でしたが、彼女が去ってからはスムーズにことが運ぶようになったことはとても不思議なことで、こうしたことがママとお付き合いをさせていただくようになってとても多くて、人のために生きることで生かされるということなのだと。
振り返ってみると、こうした私たちにとって不思議なタイミングは多くて、それが起きるときは『利己的な動機ではない』ときなんですね。
店舗運営ということでもお支え下さるお客様もいらっしゃって、とても密なお付き合いをさせていただいていますが、これも神様のお引き合わせによるものだと思うと私たちがしなくてはいけないことが見えてくるとでもいうのでしょうか。
閑古鳥対策ばかりを考えるのではなく、ご利用下さるお客様のことを大切にできる私たちであり続けたいと思うのでした。😊