沈むならその前に!Ⅱ

私の母も夫源病からうつ病を発症。
元気で明るく、とても社交的な人でしたが、苦しい毎日を送るようになってしまったことから私は何度も父に母親と離れる時間を作ることを勧めましたが、『そんなことはない!』って。

母がうつ病を患ったのは20年ほど前のこと。
リタイアした父と毎日過ごさなくてはいけない生活に神経をすり減らしたのだと思います。

とても仲の良い二人だっただけに驚きましたが、それまで自由に過ごしていた母。
四六時中、父と共にいること。 お世話をしなくてはいけないことは想像以上のストレスだったのでしょう。

離れる時間を設けることで少しずつ距離を縮めて行ければ良かったと思うのですが、母を心配する余り離れるどころか一日中寄り添っていたことから症状は悪化するばかり。

処方していただいた睡眠導入剤も効き目がないことから、クスリを求めて二人で病院を転々としていましたが、それでも足りず、隣の市にある病院まで行く始末、、、

そんなことを取り返しているうち、父がうつ病を発症。
経済的にも恵まれ、笑顔の絶えることのない家庭の最期の時間がこんな悲しいものになってしまうんですものね。

夫源病という言葉のない頃の出来事だったことから私の家だけで起きたことだと思っていましたが、お客様の中にも夫源病で辛い思いをされていらっしゃる方もいらっしゃいますし、夫源病でなくても認知機能の衰えから厳しい介護状態にある方もいらっしゃって、それが表に出ないというか、出さないというのか。

人に弱みを見せることを良しとしない考え方は、ストレスをためこむ要因になります。特に男性には悩みやつらさを打ち明けるのが苦手な方が多いようです。自分なりのストレス発散法や、「弱音を吐ける人や場所」をひとつでも多く見つけましょう。
行政情報誌 たんば 2009.no.62

世間体を考えて。 理解されないということを考えてなのか、話さないようにされている方もいらっしゃるようですが、母の場合、症状が深刻になったことで父の手に負えないものになった時点で親戚に相談をしたようで、いつも思うことは『そうなる前!』の十分なケアだと思うんですね。

軽々に論じてはいけないとは思いますが、うつ病で辛い時間を過ごされた方のお話を伺ってもそう感じますし、私自身、うつ病の一歩手前まで行き、引き返すことができた経験がありますが、戻ることができた原因は”ママとの関り”によるものだったことを考えると、私たちにもできることがあるのでは。と思うのです。

ちょいカラサロンはフレイル状態から離れる、遠ざけることのほか、認知機能・意欲の低下防止としてお役に立ちたいという動機からからスタートしましたが、これは母に何もしてあげることができなかったことに対する罪滅ぼしという意味もありますし、辛い思いをされることなくお過ごしをいただきたいと願ってのこと。

あまりにも準備不足だったことから、今のところどなたにもご利用をいただくことはできていませんが、これらのことを思うと、残された時間の中で何かお役に立てないか。という思いは募るばかり。

うつCAFEという取り組みをされていらっしゃる方もいらっしゃいますが、こうした場所の必要性を感じるのは過去の苦しい体験によるもの。

あの頃の私はPTSDの入り口近くにいたのだと思います。
今日は頑張るぞ!と気合を入れて出勤するまでは良いのですが、デスクにいられないんですね。
あの感覚をどう説明して良いか分かりませんが、不思議なほどに意欲が湧かない、、、
怠けグセがついてはいけないと思って踏ん張るのですが、意欲がどんどん低下してそこにいられなくなってしまう。

自宅に戻り、気分転換をしようとカフェに出かけるなどしましたが、どうにもできない苦しさをきちんと言葉にして相手に伝えることもできなかったこともありますし、そうした話を親身になって聞いてくれる店員さんなんていませんものね。

そんなおかしな状態の私。
思うようにさせてくれたのがママで、何か特別なことをしてもらったということではありませんが、そっと寄り添うようなことだったと思います。

ママの明るさというか、すべてを包み込んでくれる包容力。
半年ほどで意欲を取り戻すことができた訳ですが、うつで苦しむ非日常ではない空間。
当時、そういう場所があったとしても回復することはなかったと思いますが、そこに集う人とそうした人に出会うことのできる『空間』
この二つががあれば随分救われたと思うんですね。
これはちづるの営業を行う上でも大切にしていることですが、こうした空間を作ることはできないだろうか。

ママも私も病気に対する知識はありませんので、「そんな人に何ができるんだ!」とご指摘をいただくこともあると思います。
『人に弱みを見せることを良しとしない考え方』は鹿児島に根強くあるように感じることもあり、色々な意味で自信はないのですが、ちょいカラサロン同様、半年というように期限を区切ってまずは始めてみたいと考えています。

動画の問題のほか介護など、支えていらっしゃる方のケアということでもちづるにできることはあるように思うんですね。
そうした取り組みを皆さんのお力をお借りしつつ、形にしていければと考えています。😊

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