人は、苦労したから優しくなるんじゃないと思う。
苦しいときにもらった優しさを忘れることなく、
誰かに返せる人が、優しい人になるのかもしれないね。というのは、ママがいつも話してくれること。
人見知りで、
いじめられっ子だったママが言うのは、
負の連鎖の一つになってどうするの。ということで、
私はそうした経験はないのですが、
それを続ける鎖でいるのか、断ち切るカッターでいるのかということは、
その後の人生において、大きな違いが生まれるような気がするんですね。
やられたらやり返す。
テレビドラマの有名なセリフですが、
やり返すことを選べば、今度は自分がその鎖の一つになってしまうと思うのです。
ドラマでは、自分より強いと思われるものに立ち向かっていくので、
楽しく観ていられるのですが、自分より弱い立場にある人をいじめる…
やり返すのではなく、
仕掛けていく。って、
自分がされた嫌なことを、今度は自分より弱い立場の人に向けてしまう。
それもまた、相手を変えた「やり返し」のようなものなのかもしれません。
やり返した瞬間は、気が晴れるのかもしれませんが、
それで相手にまた恨みが生まれれば、今度はその恨みが、いつか自分のところへ戻ってくる。
そう考えると、
誰かにされた嫌なことを、自分が次の誰かへ渡す人になるというのは、
自分自身がかわいそうに思えてしまいますし、
そんなことをして気分がスッキリする自分になんて、
絶対になりたくないですものね。
泣き寝入りなんていう言葉もありますが、
やり返さないことと、泣き寝入りすることは違うように思うんですね。
嫌だと思うことは嫌だとハッキリ言うことだと思いますし、
怒ることだって、自分を守ることだと思うのです。
その痛みを、弱い立場にある誰かにぶつけて、
自分の気を晴らすような卑怯なことなら、したくありませんし、
まして、陰で誰かを傷つけるような自分には絶対になりたくないんですね。
自分が鎖の一つになるのではなく、自分のところで切ってしまえばいい。
もらった優しさは、自分のところで終わらせず、
もらった痛みは、自分のところで終わらせる。
されたことは消せないわけですが、
その先に自分が何をするかは選ぶことができるんですものね。
「そんな鎖の一つには、なりたくない。」
ママが言っているのは、
きっと、そういうことなんだと思います。
私も、ママと同じようにそんな鎖の一つにはなりたくなくて、
そういった部分も彼女と長く生きてくることができた理由のひとつなのかな、って、
嬉しく思うのです。
やられたことに対して怒ることと、
自分が次の加害者になることは、まったく別のお話ですし、
されたことは選べなくても、
その先の自分は選べるんですものね。
ママを見習いたいと思う、
私のお話でした。
おしまい。😊
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