〈“クソ素人が来た”投稿で大炎上のラーメン店〉
「屋号が剥奪になりました。ご迷惑かけたんで…」
店主はペンキで看板の屋号を塗りつぶしながら猛省。
揉めた利用客とは和解し、再スタート
リンクはコロナの分類変更がされる前日に書かせていただいたものですが、鬱積した人の気持ちは必ず爆発するはず。
そんな期待をしていましたが、今日まで国分の夜はコロナ禍とほとんど変わらない状況、、、
風俗営業が認められている時間帯はコロナ禍より少し多い程度ということで、苦しさから抜け出せないままの状態が続いていて、お店の運営ということでは支払いが追いかけてきますしね。😭
相変わらず火の車ということですが、街が戻らないことは良いこともあって、今日はそんなお話をさせていただこうと思います。
冒頭のリンクは当時、ニュースの見出しだけは読みましたが、しっかり記事を読んだのははじめて。
昭和の頃には『頑固オヤジの店』そんな番組がありましたね。
店主自身のこだわりの強すぎるお店は今でもあるようですが、時代が良くなってくる中で感じ続けていたのは乱暴な言葉遣いと汚い言葉が混ざったもの。
“クソ素人が来た”そんな汚い表現は昔はなかったと思いますが、時代なのでしょう、、、
この店主も自身のこだわりということなのでしょうが、思うことは『コロナ禍ではどうだったんだろう』ということ。
人気店のようですから、営業に係る制限も関係なく、お客さんで賑わっていたのかも知れませんが、そうでなかったとしたら、わざわざ足を運んで下さるお客さんに対して、少なからず感謝の気持ちがあったはず。
当時は飲食店の利用が感染のリスクを高めるというような雰囲気がありましたので、きっと、こちらのお店もそれなりに厳しい思いをされたと思いますが、こうした発言は慢心がさせることで、元々の人間性と重なって起きてしまったのではと思うと、私たちはどうなんだろうと考えた時、二次会需要が戻らない中、こうした気持ちが起きなかったことを良かったと思えるのです。
お客様のご利用が激減したことで感謝するようではいけませんが、お店を開けていればそれなりにお客さんにご利用いただけるといった安心感とでもいうのでしょうか。
振り返ってみて、そうした気持ちはなかったと思いますが、当たり前と言うか、普通のことだと、どこかで思っていたのかも知れないというのは、今ほどの努力ができていなかったことによるもの。
これは2020年の今頃、撮影をしたものですが、当時、午前中は健康維持を目的として写真を撮りながらお散歩をするなどして午前中を過ごしていました。
時には温泉に行ってリフレッシュ。そんなこともしてまいしたが、これを慢心とは思いませんが、今思うことは、もう少し努力できたよね。ということをよく反省するんですね。😅
コロナ禍では度重なる休業もありましたが、コロナ後を考えてリズムを崩さないよう、お店の大掃除をしてきましたが、コロナ以前の反省もそうですし、ぼんやりしていた目標も決めることができました。
感謝の気持ちを形にすることもできて、街が戻らないことで得ることが多かったと思うのです。😊
もう一つは4年近く続いたコロナと分類が変更されるまでの今日までの中で『自分たちの知らない本当の顔』を知ることになるかも。という不安も少しありましたが、ママも私も何も変わらなくて、それも良かったことのひとつです。
間違っても、“クソ素人が来た”的なことが頭に浮かぶことがなかったことは本当に良かったこと。
先日、『こいつら、いつまで歌ってんだよ』という店主の独り言が聞こえて残念な気持ちになったいうお話をお客様から伺いましたが、感謝する気持ちが起きない理由は『もっとコロナが続けばいいのに』という店主の言葉がそれを表しているようにコロナ関連の給付金がさせたことだと思うのです。
もちろん、元々の人間性ということもあると思います。
トップリンクの店主は態度を改められたということですが、人間性は長い人生の中で培われたものだと思うと、表面に見えるものだけではいつかメッキは剥がれてしまうはず。と、余計なことを考えてしまいました。😅
また、過去の記事では『あんたの言ってることは全然分からない!』とお客さんの自慢話を聞きたくないことから、そう言い放った店主のことを書かせていただきましたが、人気店ということが慢心を生んだと思うと、不人気店で良かったとも思うのですが、今の状態ではお店を存続させることは難しいことから、みなさんにぜひお越しをいただきたいと思います。
平日はママと私の二人。
週末は2名のスタッフと私たち二人で精一杯、よい夜のお手伝いをさせていただきたいと思います。って、最後は宣伝になってしまいましたが、これは冗談。
次回は美の対象になれない私たちのことについてお話をさせていただきたいと思います。