2018.07.27
今から8年前の今日、書いたブログ。
先日noteに投稿した「私にとってのはじめての鹿児島」と似ていたことに驚きました。
8年前の記事には、かるかん饅頭のことも書いていますが、
記事を読み返してみて、そんなこともあったなぁと思い出す程度のことでしたが、
大きな「みかん(ざぼん)」と「鹿児島」と書かれた紙袋のことだけは、
今でも忘れることができないほど、子供心に相当な衝撃を与えたんでしょうね。
どちらの記事にも書いていませんが、
鹿児島と私の縁はこれだけではありません。
修学旅行も鹿児島でしたし、
職場の上司が連れて行ってくれたお店の名前が「照国」。
テルクニ?
当時、鹿児島の地名だとは知りませんでしたが、
私にはとても印象に残る響きで、ずっと忘れることができなくて、
後に、鹿児島出身の方が経営されていることを知りました。
ただ、
まだその時点では鹿児島にそれほど縁を感じていなくて、
九州でも一番遠いところで、暖かい場所。程度のイメージ…
その後、働き始めてからは
職場の上司が鹿児島出身の方。
社長の方の名前の漢字が読めなくて、
教えていただくと、その方も鹿児島出身…
少しずつ鹿児島が近づいてくるというか、
私が鹿児島に近づいているというのか。
その間、鹿児島を訪れたのは、2度ほどでしたが、
鹿児島を身近に感じるような出来事が増えて行きました。
南九州を巡る旅。
そんな名前だったと思いますが、
会社の慰安旅行先が鹿児島だったり。
どんどん鹿児島が身近になってきて、
NHK大河ドラマ「篤姫」の放送が始まった2008年には、
今度は私の方から何度も鹿児島を訪れるようになり、
鹿児島への憧れは、その頃が一番強かったように思います。
当時、この放送を録画して、何度も観たことを思い出しました。😊
鹿児島というか、
指宿なんですけれどね。
指宿に行って、黒い土を耕してみたい。
そんなことを真剣に考えていた時期でした。
その後、地元の方の勧めもあって、
霧島に住むことになりましたが、
鹿児島に来ることができたのは、自分のことながら本当に不思議な出来事です。
まさか霧島市で「ちづる」や「ちょいカラサロン」を始めることになるとは思ってもいませんでしたし、
そんな生活を10年も続けていることも不思議に思うんですね。
毎日の暮らしは日常のはずなのに、
どこか物語の中にいるような気持ちになることがあるんですね。
鹿児島へ来る前、
立ち寄った占いの館で、
「地域の人のために尽くす人になりますよ。」
そんなことを言われたことがありました。
あの時は半信半疑でしたが、
ちづるやちょいカラサロンを続けている今、
その言葉を思い出すことがあります。
縁という目に見えないものに導かれるというか、
その流れに身を任せて生きてみて、
振り返ってみると、
その流れに逆らわずに歩いてきたことが、
私たちらしい生き方だったのかもしれません。
残された時間は、思っているほど長くないのかもしれません。
だからこそ、
元気に、明るく、楽しく、仲良く。
そんな毎日を大切にしていきたい。
そう思う、あの日から8年後の私たち。
霧島で今も「ちづる」を続けていることは、
その縁の続きなのかもしれません。
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