会話の価値を知るということ|歳を重ねて気づく、人と話せる有り難さ。

会話の価値を知るということ

若い頃は分からなかったことがあります。

誰かと話せること。
誰かが話を聞いてくれること。

仕事があって、
家族がいて。
友人がいる。

毎日誰かと話している時は気づかないのはそれが当たり前のことだから。

でも。
歳を重ねると少しずつ変わってきます。

定年を迎えたり、
子どもが独立したり、
配偶者を亡くしたり。

すると、

「あれ?今日誰とも話していないな」
そんなことを感じることが多くなるようです。

もちろん、一人の時間は大切ですし、
好きで一人になるのですから孤独は感じません。

景色を見たり、
本を読んだり、
好きなことをしたり。

こうした時間は人生を豊かにしてくれます。

でも、同じことをしていても、
誰にも必要とされていない。
誰にも会わなくても、話さなくても一日が終わってしまう。

そうなってしまうことで、
少しずつ心は痩せていくような気がするのです。

孤独そのものより、
孤立の方が怖いと私は思っています。

ただ、人と会えばそれで解決するわけでもありませんよね。

「話を聞いてほしい」
「理解してほしい」

これは相手も同じことを思っていることが多くて、
なので、こうした関係は長続きすることはあまりないようです。

だからこそ。

話を受け止めてくれる場所。
少し寄り添ってくれる場所。

それは加齢によるものもあるようですが、
社会的立場の変化によっても、そうした場所を必要とするようになると思うのです。

ちづるはスナックですから、お酒をお出ししますが、
お酒そのものを売っているとは思っていません。

お酒が入ることで話しやすくなる人もいますし、
リラックスできる人もいますのでお酒は大切だと思いますが、
本当に求められているものは別のところにあるような気がするんですね。

それは、

誰かと笑うこと。
誰かと話すこと。
人として大切に扱われること。

そんな時間です。

実際、

お酒をほとんど飲まなくても楽しそうに帰られる方はたくさんいらっしゃいます。
お水だけ飲んで帰られる方もいます。

それでも、
「今日は楽しかった」
そう言って帰られる方もいらっしゃいます。

その方たちはお酒を飲みに来ているのではなく、
安心できる時間を過ごしに来ていらっしゃるのだと思います。

本当に孤独を経験した人ほど、会話の価値を知っています。

定年後だったり。
配偶者を亡くされた後だったり。
病気をされた後だったり。

そういう方ほど、誰かと話せることの大切さをよくご存じのようです。

若い頃には当たり前だったことが、当たり前でなくなることで、
人生に寂しさが増えたとしても、それを少しだけでも軽くできる場所があれば良いのに。

これは苦しくて仕方のなかった時に私自身が感じたこと。

少しでも誰かに話すことができたら。
少しでも笑って過ごすことができたら。
少しでも忘れていられる時間があったら。

そんな場所、人がいればどれほど楽になれるだろう。って

ダメな私を、
そっと受け入れてもらえた。

そんな一日、
そんな場所があるだけで、
少しだけでも温かくなるような気がして。

そういう場所探しを必死にしていたことを思い出すんですね。

ただ、人がたくさん集まれば、
寂しさがなくなるわけではありません。

むしろ人が多いことや、その場に集う目的が違っていたりすると、
些細なことで感情が高ぶって衝突したり、
余計に心が疲れてしまうこともありました。

それは、
誰かと一緒にいることと、
本当の自分が理解されているということは、別のことだからなのでしょう。

それだけに、中途半端に埋めようとしてしまうと、
かえって寂しさや辛さが増してしまうこともあるのだと思います。

自分らしく過ごせること。
話を受け止めてもらえること。
安心していられること。

そんな時間の大切さを感じるんですね。

平日のちづるをご利用下さった方が、
お帰りの際に「今日は楽しかった!」

そう言って下さったのは、
お酒が美味しかったからだけでもなく、
カラオケが楽しかったからだけでもなく。

誰かと話せたこと。
誰かに話を聞いてもらえたこと。
思いをほんの少しでも吐きだすことができたこと。

吐き出しながら整える場所、人がいること。

あの時の私は。

それだけで十分救われたような気持ちで休むことが出来たことを覚えています。😊

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