8年前のブログを読み返して知ったことは、
鹿児島空港と私は同世代ということ。
当時、鹿児島便が珍しかったのでしょう。
そんなこともあって、父は私のことを飛行場に連れて行ってくれたのかも。
飛行機から降りてくる多くの人が下げていたのは「鹿児島」と書かれた紙製の手提げ袋。
青いセロハンのようなフィルムで包まれた大きなみかん(ボンタン)も一緒に下げていて、
不思議というか、子供なりに遠い南の土地を思ったんでしょうね。
それが鹿児島、南九州との出会い。
8年前にも同じようなことを書いていましたが、
私にとってはそれほど印象的な出来事で、親戚が住んでいたり、
縁があるわけでもないんですけれどね。
それでもこうして鹿児島にいることを今でも不思議に思うことがよくあります。
自分で決めたことなのに、どこか他人事のような感じで、
夢の中で生きているというか、
現実だと分かっているんですけれどね。
その現実を受け止めることができないと言えばおかしいんですけれど、
夢というのか、不思議な時間を生きていることを感じていて、
縁というか、運命の流れというのか。
計画通りに生きてきた訳ではありませんが、
人生、一度きりですものね。
スナックを開業するときもそうでしたが、
あれだけ嫌だったのに、気が付けば10年も続けていますものね。
ホント、世の中、不思議なことだらけで、
縁も縁もない土地でこんなに長く暮らしたこともなくて、
だからでしょうか。
どこか他人事のように見ている自分がいて、
これは良い意味でも悪い意味でもありません。
世の中、思うように進まないものだと思うことがあります。
それでも、振り返ってみると、不思議なくらい続いてきたものもあります。
私たちにとっても、この15年間は不思議な時間でした。
気が付けば、社交飲食業を始めて10年…
あれだけ反対していたのに、
10年も続けているのは生活のためということもありますけれど、
そればかりではなくて、手漕ぎボートでどこまで行けるか。
そんな気持ちもあるんですね。
コロナ禍で、ボートはすっかりボロボロになってしまいましたけれど、
折れたオールを直したり、穴の開いた船底の水を汲みだしたり…
それが楽しいというか、
生きてる感じがして、こうしたことも生まれて初めての体験で、
辛い時間の方が長いのですが、お客様に支えていただいていることでバランスというか、
恩返しができるほどでもないのですが、寄り添い寄り添われの関係は心地の良いもの。
社交飲食業に対する一種の偏見的なものが私たちの中にある反発力になって、
進むことはありませんが、それでも沈まない。
生かしていただいている間は私たちのできる最善を尽くして尽くして、
浮いていたい。
この鹿児島、霧島で過ごす毎日の中で、そんなことを思うのです。
出張や観光で霧島に来られた方で、
静かに過ごせる場所を探している方は、こちらもご覧ください。



