「意欲の低下に、どうブレーキを掛ければ良いのでしょう。」という記事を更新しました。
ちづるやちょいカラサロンを運営してきた中で感じているのは、
人の意欲というのは、小さな喪失感が積み重なることで、
少しずつ炉の火が弱くなっていくことと似ていると思うのです。
53歳マツコ食欲低下にショック「天丼1人前で胸ヤケ。とうとう揚げ物が」→体形維持の心配は無用「ウチの建設会社はしっかりしてる」
これはネタなのでしょうが、
揚げ物を食べると胸やけをするようになった。
夜遅くまで起きていられなくなった。
長距離の運転が億劫になった。
歩く距離が短くなった。
誘われることが少なくなった。
仕事や地域での役割を終えた。
話を聞いてくれる人が少なくなった。
会いたい人が少しずついなくなっていく。
「もう歳だから」が口癖になってきた。
若い時にできたことができなくなってきた。
膝や腰に痛みを感じるようになった。
一つひとつは、大きな出来事ではなくても、
それが何年も積み重なると、
「今日はいいか。」
「また今度でいいか。」
そんな言葉が少しずつ増えてくるようで、
それが意欲という炉の火を弱くしていくように思うのです。
こうした変化は自分でも気付きます。
でも、もっと気付きにくい喪失感があります。
それは、世の中の多くのものが、自分に向かって語りかけなくなっていることです。
定年を迎え、仕事での役割を終えようとしている頃くらいからでしょうか。
新しい商品やサービスの広告、イベントの案内や求人などもそうですが、
いつの間にか自分ではなく、もっと若い世代へ向けられるようになります。
そうした静かな変化が少しずつ積み重なることで、
「私はもう必要とされていないのかな。」
意識はしていなくても、そんな気持ちになることがあります。
毎日の小さな出来事の積み重ねが、少しずつ心に刷り込まれていくとでもいうのでしょうか。
最近、「世代間交流」という言葉を耳にすることがあります。
若い人と交流することが、高齢者にとって良い刺激になる。
そんなお話もあります。
それを否定するつもりはありませんが、
若い人には若い人の世界がありますものね。
仕事もありますし、家庭もあります。
話題も違えば、価値観も違います。
時々お話をするくらいなら良いと思いますが、
それを長く続けるのは、お互いに無理が生じてしまう気がしています。
昔は「年寄りの知恵」という言葉がありました。
でも、それは家族や地域の中で一緒に暮らしていた時代のお話ですものね。
家族の形が変わってきたということもありますが、
今の若い人は、困ったことがあればスマートフォンで調べることも多いと思います。
もちろん人生経験に興味を持ってくださる方もいらっしゃいます。
でも、お互いが求めているものには少し違いがあるようにも感じています。
高齢者は話し相手ができたことが嬉しくなって、もっと話したくなる。
若い人は、知りたいことが分かればそれで十分ということもありますよね。
そんな現実があるように思うのです。
なので、無理に世代間交流を増やすことより、
同じように歳を重ねていける人との関係を育てることの方が自然なのではないかと私たちは思っています。
60代という年代は、まだ体も動きますし、外へ出ることもできます。
意欲も残っています。
だからこそ、この時期は新しい知り合いを増やすことよりも、
これから先も「元気だった?」と言い合える関係を育てていくことの方が大切なのかも。
最近、そんなことを思うようになりました。
80代になった自分が困らないように。
一緒に歳を重ねていける人との関係を少しずつ育てていく。
それが60代から始める、現実的な老いへの準備なのかもしれません。
そんなことを考えながら、ちょいカラサロンを運営していると、
気付かされることがあります。
歌唱力の優劣よりも、
「また会えたね。」
「元気そうで良かった。」
そんな何気ない言葉の方が、人の表情を明るくしてくれる場面を何度も見てきました。
人は歳を重ねても、
誰かに必要とされたい。
誰かに気に掛けてもらいたい。
そうした思いは、歳を重ねるほど強くなるのかもしれません。
だから私たちは、若い人を追い掛けるのではなく、
共に歳を重ねていける人たちとの時間を大切にしていきたいと思うのです。
そうした積み重ねが、
この先の意欲という炉に薪を一本ずつ、くべ続けることにつながる。
そうした場所を、私たちだけではなく、皆さんと一緒に育てていけたらと思っています。
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