夜の居場所として、スナックを「サードプレイス」と呼ぶ人もいます。
たしかにそれも一つの考え方だと思います。
でも実際には、テンションの違う人から話しかけられたり、
大きな声で歌う人がいたりすることもありますよね。
せっかく素の自分に戻りたくて来たのに、
気が付けばまた「いつもの顔」をしている。
そんな夜もあると思うのです。
それならバーはどうだろう。
そう思って行ってみても、今度は静かすぎて会話がほとんどなかったりします。
居酒屋は居酒屋で賑やかですし、店員さんと話せる時間もほんの少し。
忙しいのですから当たり前ですよね。
だから私たちは時々思うのです。
「安心して一人でいられる場所」と、
「誰かの気配を感じられる場所」。
その間くらいの居場所って、ありそうで実はそう多くないものです。
私たち自身も、そんな場所を求めて色々なお店へ行ったことがあります。
お客さんで賑わうお店では、ついつい盛り上げ役になってしまいますし、
ホテルのラウンジならどうだろうと思って行ってみたこともあります。
でも、そこはそこできちんとしていて、素の自分に戻れるかと言えば少し違いました。
なんとなく背筋を伸ばして過ごしているうちに、気が付けば疲れてしまうのです。
やっと見つけたと思った鉄板焼きのお店がありました。
カウンター越しに店主と程よい距離感で過ごせて、とても居心地が良かったのです。
けれど通ううちに常連さん同士の距離も近くなり、
気が付けば少し窮屈に感じるようになっていました。
もちろん誰が悪いわけでもありません。
ただ、その時の私たちには少し近すぎたのだと思います。
だから今でも思うのです。
安心して一人でいられて、でも完全な一人ではない。
そんな場所があってもいいのではないかと。
私自身、どちらかと言えば積極的に話す方ではありません。
自分から話題を振るより、誰かの話を聞いている方が合っていますし、
話しかけてもらった方が話しやすかったりもします。
もちろん、その逆の方もいらっしゃると思います。
ただ、人が多くなればなるほど、周囲に気を遣ってしまうこともありますよね。
年齢も違えば性別も違う。
その日そこに来た理由だって、それぞれ違います。
仕事帰りの人もいれば、誰かと話したい人もいる。
静かに飲みたい人もいれば、歌いたい人もいる。
そう考えると、人が集まれば集まるほど、
素の自分でいることは案外難しいのかもしれません。
素の自分でいるのは難しい、と書きましたが、
私自身、会話そのものが苦手なわけではありません。
気が付けば会話の輪の中に入っていることもありますし、それが楽しいと感じる夜もあったりします。
ただ違うのは、その時そこにいるのが「素の自分」なのか、無理をしている自分なのかということです。
無理に話題を探したり、場を盛り上げたり、自分を大きく見せたり。
そんなことをしなくても自然と話せる相手や空気があります。
反対に、装った自分で会話に入ってしまうと大変です。
その場に合わせて自分を作り続けなければならなくなります。
最初は少しの無理でも、だんだん苦しくなってしまう。
そして気が付けば、その場所へ行くこと自体が疲れるものになってしまうのです。
ちづるの場合、平日でしたら、より静かな時間を感じていただけると思います。
週末は少し賑わうこともありますが、それでも大勢のお客様でいっぱいになるようなお店ではありません。
自然とその場に溶け込むというのか、馴染むというのか。
無理に会話へ加わらなくてもいいですし、かといって一人だけ浮いてしまうこともありません。
それぞれがそれぞれの時間を過ごしていて、その空気がゆるやかに重なっている。
そんな時間が流れているように思います。
「よく分からないけれど、ここは居心地がいいんだよね」
そんなふうに言われることがあります。
以前は、お客様が少ないからだと思っていました。
でも、少し考えが変わりました。
もしかすると人数の問題ではなく、
装わなくていいからなのかもしれません。
私自身、装ったまま過ごす場所は長続きしませんでした。
だからなのか、ちづるでは無理をしなくてもいい空気を大切にしています。
その結果として「居心地がいい」という言葉をいただくことができているのだとしたら、
それはとても嬉しいことです。
商売ということでは良くないのでしょうけれど、
わたしたちがそうだったように、
話したい日は話して、静かな夜は穏やかに言葉を交わす。
そんな時間を求めている人のために、
ちづるは、そんな場所でありたいと思うのです。
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