波風を立てたくない。はいつもママが言っている言葉。
波風を立てないというのは、
問題や揉め事を起こさず、平穏な状態を保つという意味ですが、
それでなくても、綱渡り的な毎日を過ごしている私たち…😅
毎日を生きるのが精一杯という中で、
これ以上問題を抱えたくないという気持ちは、私も全く同じこと。
ママとは何十年というお付き合いをさせていただいていますが、
その中で何度も激しい衝突もありましたし、
意見の違いから、対立まではありませんが、
それでも「私は違う」なんて…
そうしたすれ違いのようなものを感じた時期もありましたが、
歳を重ねたということもあると思います。
長年、時間を共にしてきたことも大きいと思います。
お互い角が取れて、
今は楽しく暮らすことができていて、
それでも、それはお互いが譲り合うことで成り立っているわけですが、
そうやってバランスを保っている中、
些細なことであったとしても、波風は立てたくないというか、
「立てて欲しくない」
それを強く思うのです。
私たちには、もうそこに費やす時間はもちろん、
何よりも、気力ということだと思いますが、
それがもうないんですね…
若い時のように衝突して、
押して行こうという気力が湧かないというか、
そんなことに巻き込まれたくないという気持ちが強すぎて、
とにかく、
穏やかに毎日過ごしていたい。
私たちに残されている時間は、もうそんなにない。
そう思うと、それだけに残された時間くらいは穏やかに過ごしていたいと思うのです。
ただ、今日までのことを振り返ってみると、私は幸せだったなと思うんですね。
それはもしかすると、
悪因になるようなものを、それほど多く抱えずに済んだからなのかもしれません。
若い頃は、この「悪因悪果」という言葉を、
ずいぶん上っ面だけで捉えていたように思います。
悪いことをすれば、悪い結果が返ってくる。
そんな単純な意味だと思っていました。
でも、歳を重ねて考えるようになったのは、
たとえ自分では正しいことをしているつもりでも、
怒りや、執着や、妬みや、憎しみや、欲。
それに加えて、うんと大切だと思うのは、
「自分は正しい」という思いに固執することだと思うんですね。
仮にそうだったとしても、譲らないというか、
どうしても譲ることのできない、その心そのものとでもいうのでしょうか。
自分が正しかったとしても、譲れるか。
若い頃の私なら、そんなことを考えたこともなかったように思います。
私は正しくて、相手が悪い。そんなふうに思っていたと思うのです。
正しいのだから譲る必要はない。
間違っている相手が譲るべきで、反省するべきだ!なんてね…😅
でも、今は少しお利口になれたと思うのです。
「自分は正しい」という思いから、
どうしても離れることのできなかった私でしたが、
歳を重ねてきて、今思うことは、
正しさも、それに固執してしまえば、場合によっては悪因になるのかもしれない。
そんなふうに考えられるようになって、
これで少しはママに近づくことができたのかな、と密かに思う私なのでした。
おっしまい。
出張や観光で霧島に来られた方で、
静かに過ごせる場所を探している方は、こちらもご覧ください。




