〈キャバ倒産〉「昔みたいに二次会はない」「東京の有名店とは別の商売」ガールズバーとの競争、インバウンド恩恵も届かず…地方キャバクラを襲う“四重苦”
「昔みたいに二次会はない」そんな記事を読みました。
キャバクラのお話ですが、地方で夜のお店を続けている私たちに他人事ではありません…
昔なら会社の飲み会が終わって、「もう一軒行こうか」なんて、
そんな流れで夜の街を歩く人たちをたくさん見かけましたが、
今は、一次会が終われば帰ってしまう…
飲み会そのものが少なくなっているようです。
記事には、「一軒閉まったから、そのお客さんが隣の店へ行くとは限らない。そのまま夜に出なくなる人もいる」
と書かれていて、ここがいちばん気になったところ…
お店が減っているだけではなくて、
夜の街へ出かける人そのものが減っていくのだとしたら、ちょっと話が違います。
ちょうどこの記事を読んだ日に、国分駅周辺の人の動きを見てみたのですが、
朝から夜まで、おおむね1,000人前後…
夜になったからといって、大きく人が増える様子もありません。
一日の数字だけで国分の街を判断することはできませんが、
翌朝、同じ鹿児島県の川内駅周辺を見て驚きました。
夜になると、人流が5,000人近くまで増えていて、
何があったのだろうと調べてみると、川内大綱引の日でした。

国分の過去の数字を見返してみました。
2025年の霧島国分夏まつりの日には、
国分駅周辺でも普段の1,000人前後から、夜には2,000人近くまで増えていて、
出かける理由さえあれば、人はちゃんと出てくるんですよね。

でも、私たちが一年のほとんどを過ごすのは、お祭りのない普通の日で、
行ってみたいと思えるところが、霧島の街にどれくらいあるんだろうって、
その方が気になりました。
国分でも、お店が少しずつなくなっているように感じていますが、
お店が一軒なくなるということは、建物の明かりが一つ消えることではなくて、
誰かにとっての「出かけよう」が一つなくなることなんですよね…
お店が減ることで選択肢は減りますし、出かける理由が減る。
そうなることで地元で使われるお金も減ってしまえば、残っているお店も苦しくなる。
苦しくなってまたお店が減る。
この循環が怖いんですね。
私が霧島にきた時よりも増えていれば良いのですが、
私たちには、少なくなってきたように感じるんですよね。
マンションはずいぶん増えてきました。
住む人が増えることは良いことだと思いますが、
住む人が増えることと、街の魅力が増えることは同じではないですものね。
「生活に必要なものは最低限そろっているから」と言われたことがありますが、
確かにそうだと思います。
普通に生活するだけなら、それほど困らないですものね。
でも、「最低限そろっている街」と、
「暮らしていて楽しい街」は同じかと言えば、私は違うと思うのです。
「ここもある。あそこもある」と選べることも、街の魅力のひとつのはず。
私の場合、選択肢がなければ、市外へ買い物に行きますし、
ネットを利用してお買い物をすることもあります。
いろいろなものが値上がりしている時代。
少しでも安いところで買うことは、当たり前のことですし、
それが一人ひとりにとって自然な選択だとしても、
それが積み重なったときですよね…
街の中で使われるお金はどうなるのだろう。
そんなことを考えてしまいます。
調べてみると、これは私だけが感じていることでもありませんでした。
霧島市公式「霧島リノベーションまちづくり戦略会議」資料(PDF)
霧島市が以前まとめた「リノベーションまちづくり」の資料にも、
「商店の閉店、空き店舗の増加」
「買い物する場所がない。遊ぶ場所がない。」というその先に、
消費が生まれず、所得が地域の外へ流出する。
そんな問題まで整理されていますものね。
さらに市内の商店について、
経営者の高齢化や後継者不足などによって、閉店や廃業が増えていることも課題として認識しています。
ここでもう一つ、気になることは、
小さなお店がなくなり、買い物が大型店へ集まっていったときのことです。
歳を重ねて車を運転できなくなった人は、どうするんだろう。
霧島市の資料にも、免許返納者の増加などを背景として、
「地域住民の移動手段の確保は喫緊の課題」と書かれています。
若い人の場合、選択肢が少なければ、
市外へ行ったり、ネットで買うということだと思いますが、
若い人が減れば、若い人を相手にしているお店も苦しくなるでしょうしね。
私の住んでいる近くでも、
昔からある小さなお店が、経営者の高齢化や後継者不足で、数軒なくなってしまいました。
それに加えて、
高齢になった人の場合、今度は『行くための足』の問題が出てきますしね。
若い人には、選べるものが少ない。
歳を重ねた人には、行くための足がない。
そんな街になってしまうのでは…
生活するために必要なものはあるけれど、
食べるところ。飲むところ。
買い物を楽しむところ。遊ぶところ。
なくても生きてはいけるけれど、
あるから暮らしが少し豊かで楽しくなるもの。
それが少しずつなくなっていくことをとても心配しています。
お店がなくなってから、
「あそこ、なくなったんだ。残念だね」では、遅いと思うのですが、
でも、それが現実に起きていますものね。
マンションは増えて、
生活に必要なものは最低限はあるから大丈夫。って、
本当に、そうなんでしょうか。
川内大綱引の日も、霧島国分夏まつりの日も、人はちゃんと動いていたことを考えると、
人は、出かける理由があれば出てくるんですよね。
そう考えると、お祭りのない普通の日にも、
「今日はあそこへ行こう」
と思える場所が、街にどれだけ残っているのか。
そちらを考えなければいけない時期に来ているのかもしれなくて、
それって、そろそろじゃない?
そんなことを感じて仕方ありません。
店が減る。選択肢が減る。
人が出なくなる。
消費が外へ出ていく。
そして、また店が減る。
霧島に越して来てから、こうしたことを何度も見てきたからこそ思うのですが、
こうした循環を繰り返しているうちに気がついたときには、
「生活するには困らないけれど、行きたいところがない街」になってしまうような気がするのです。
「最低限そろっているから大丈夫」と言っていられるうちに、
考えなくてはいけないところまで、来ているのではないでしょうか。
そんな危機感を最近、強く感じています。
このことを考えるきっかけになった、少し前の記事です。
出張や観光で霧島に来られた方で、
静かに過ごせる場所を探している方は、こちらもご覧ください。



