「最低限そろっているから大丈夫」なのかな。|国分の街を見ながら思うこと

〈キャバ倒産〉「昔みたいに二次会はない」「東京の有名店とは別の商売」ガールズバーとの競争、インバウンド恩恵も届かず…地方キャバクラを襲う“四重苦”

「昔みたいに二次会はない」そんな記事を読みました。
キャバクラのお話ですが、地方で夜のお店を続けている私たちに他人事ではありません…

昔なら会社の飲み会が終わって、「もう一軒行こうか」なんて、
そんな流れで夜の街を歩く人たちをたくさん見かけましたが、
今は、一次会が終われば帰ってしまう…

飲み会そのものが少なくなっているようです。

記事には、「一軒閉まったから、そのお客さんが隣の店へ行くとは限らない。そのまま夜に出なくなる人もいる」
と書かれていて、ここがいちばん気になったところ…

お店が減っているだけではなくて、
夜の街へ出かける人そのものが減っていくのだとしたら、ちょっと話が違います。

ちょうどこの記事を読んだ日に、国分駅周辺の人の動きを見てみたのですが、
朝から夜まで、おおむね1,000人前後…

夜になったからといって、大きく人が増える様子もありません。

一日の数字だけで国分の街を判断することはできませんが、
翌朝、同じ鹿児島県の川内駅周辺を見て驚きました。

夜になると、人流が5,000人近くまで増えていて、
何があったのだろうと調べてみると、川内大綱引の日でした。
20260923_kokubu_sendai
国分の過去の数字を見返してみました。

2025年の霧島国分夏まつりの日には、
国分駅周辺でも普段の1,000人前後から、夜には2,000人近くまで増えていて、
出かける理由さえあれば、人はちゃんと出てくるんですよね。
20250727国分人流データ

でも、私たちが一年のほとんどを過ごすのは、お祭りのない普通の日で、
行ってみたいと思えるところが、霧島の街にどれくらいあるんだろうって、

その方が気になりました。

国分でも、お店が少しずつなくなっているように感じていますが、
お店が一軒なくなるということは、建物の明かりが一つ消えることではなくて、

誰かにとっての「出かけよう」が一つなくなることなんですよね…

お店が減ることで選択肢は減りますし、出かける理由が減る。
そうなることで地元で使われるお金も減ってしまえば、残っているお店も苦しくなる。

苦しくなってまたお店が減る。

この循環が怖いんですね。

私が霧島にきた時よりも増えていれば良いのですが、
私たちには、少なくなってきたように感じるんですよね。

マンションはずいぶん増えてきました。

住む人が増えることは良いことだと思いますが、
住む人が増えることと、街の魅力が増えることは同じではないですものね。

「生活に必要なものは最低限そろっているから」と言われたことがありますが、
確かにそうだと思います。

普通に生活するだけなら、それほど困らないですものね。

でも、「最低限そろっている街」と、
「暮らしていて楽しい街」は同じかと言えば、私は違うと思うのです。

「ここもある。あそこもある」と選べることも、街の魅力のひとつのはず。

私の場合、選択肢がなければ、市外へ買い物に行きますし、
ネットを利用してお買い物をすることもあります。

いろいろなものが値上がりしている時代。

少しでも安いところで買うことは、当たり前のことですし、
それが一人ひとりにとって自然な選択だとしても、
それが積み重なったときですよね…

街の中で使われるお金はどうなるのだろう。
そんなことを考えてしまいます。

調べてみると、これは私だけが感じていることでもありませんでした。

霧島市公式「霧島リノベーションまちづくり戦略会議」資料(PDF)

霧島市が以前まとめた「リノベーションまちづくり」の資料にも、

「商店の閉店、空き店舗の増加」
「買い物する場所がない。遊ぶ場所がない。」というその先に、

消費が生まれず、所得が地域の外へ流出する。
そんな問題まで整理されていますものね。

さらに市内の商店について、
経営者の高齢化や後継者不足などによって、閉店や廃業が増えていることも課題として認識しています。

ここでもう一つ、気になることは、
小さなお店がなくなり、買い物が大型店へ集まっていったときのことです。

歳を重ねて車を運転できなくなった人は、どうするんだろう。

霧島市の資料にも、免許返納者の増加などを背景として、
「地域住民の移動手段の確保は喫緊の課題」と書かれています。

霧島市地域公共交通計画|霧島市公式

若い人の場合、選択肢が少なければ、
市外へ行ったり、ネットで買うということだと思いますが、
若い人が減れば、若い人を相手にしているお店も苦しくなるでしょうしね。

私の住んでいる近くでも、
昔からある小さなお店が、経営者の高齢化や後継者不足で、数軒なくなってしまいました。

それに加えて、
高齢になった人の場合、今度は『行くための足』の問題が出てきますしね。

若い人には、選べるものが少ない。
歳を重ねた人には、行くための足がない。

そんな街になってしまうのでは…

生活するために必要なものはあるけれど、
食べるところ。飲むところ。
買い物を楽しむところ。遊ぶところ。

なくても生きてはいけるけれど、
あるから暮らしが少し豊かで楽しくなるもの。

それが少しずつなくなっていくことをとても心配しています。

お店がなくなってから、
「あそこ、なくなったんだ。残念だね」では、遅いと思うのですが、
でも、それが現実に起きていますものね。

マンションは増えて、
生活に必要なものは最低限はあるから大丈夫。って、

本当に、そうなんでしょうか。

川内大綱引の日も、霧島国分夏まつりの日も、人はちゃんと動いていたことを考えると、
人は、出かける理由があれば出てくるんですよね。

そう考えると、お祭りのない普通の日にも、

「今日はあそこへ行こう」

と思える場所が、街にどれだけ残っているのか。

そちらを考えなければいけない時期に来ているのかもしれなくて、
それって、そろそろじゃない?

そんなことを感じて仕方ありません。

店が減る。選択肢が減る。

人が出なくなる。
消費が外へ出ていく。

そして、また店が減る。

霧島に越して来てから、こうしたことを何度も見てきたからこそ思うのですが、

こうした循環を繰り返しているうちに気がついたときには、
「生活するには困らないけれど、行きたいところがない街」になってしまうような気がするのです。

「最低限そろっているから大丈夫」と言っていられるうちに、
考えなくてはいけないところまで、来ているのではないでしょうか。

そんな危機感を最近、強く感じています。

このことを考えるきっかけになった、少し前の記事です。

出張や観光で霧島に来られた方で、
静かに過ごせる場所を探している方は、こちらもご覧ください。

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