次のシニア世代は、どう老いるのか。|暮らす家は一人。でも、生きる世界は一人にしない。

老人クラブの会員が減っている…

高齢者の居場所についての記事を目にすることが増えました。

孤立を防ぐために、地域で集まれる場所を作り、
社会とのつながりを絶やさないようにすることは大切だと思いますが、
私は少し違うことを思うのです。

今の80代と、これから80代になる私たちは、
同じように老いていくことはないだろうと思っています。

体力が落ちて、できなくなることも増えていくでしょうし、
身体は同じように老いていくのだと思うのですが、そこまで生きてきた時代は異なりますものね。

今の80代には今の80代の生きてきた時代があって、
私たちには私たちの生きてきた時代がある。

さらに若い世代が80歳になる頃には、
またまったく違った高齢者になっているはず…

そう思うと、
今の80代の延長線上に、次の80代を置いて考えてはいけないと思うのです。

「老人の場所」へ行きたいわけではない

私たちの世代が70歳、80歳になったとき、
どれくらいの人が抵抗なく「老人クラブ」「高齢者サロン」といった場所へ入っていけるのだろう…

そうした場所を楽しみにしている人や活動をされている方を否定するつもりはありません。
今の80代には、今の80代に合った場所があればいいと思うのですが、私自身はどうだろうと考えてみると、

歳を取ったからといって、
突然「老人」という一つの集団に入りたいとは思わないと思うんですね。

「高齢者でも入れる場所」と、「歳を取っても自分から行きたい場所」は違うもので、
これから必要になるのは、後者ではないかと思うのです。

私たちは、一人で時間を過ごすことが上手になる

これからのシニアには、インターネットなど、今までとは大きく違うものがあります。

YouTubeもありますし、ゲームがある。
通販もあれば、AIだってありますしね。

一人でも、一日を退屈せずに過ごせる時代になりましたが、
「孤独なのに退屈ではない」という生活ができてしまうと思うと、
それは便利なことなのですが、少し怖さを感じるのです。

朝からネットを見て、ゲームをして、
買い物もネットで済ませる。

それだけで一日は過ぎていくでしょうから、
『暇だから外へ出てみよう』とさえ思わなくなってしまうかも…

一人で暮らせますし、退屈しない。

でも。
一人で暮らせることと、
人との関係があることは同じではありませんものね。

退職してしまうと、会社が用意してくれていたものがなくなってしまう…

毎朝行く場所がある。
そこには自分の机がありますし、肩書もあります。

今日、処理すべき仕事があって、
明日、行く場所と仕事があります。

そうした生活が何十年も続くことで、
それが自分の生活だと思うのは当然のことなのですが、
定年を迎えると、これらが一度になくなってしまいます…

本人の能力も性格も、
昨日と今日で急に変わったわけではないのに、
電話は減って、相談や誘いが減ってしまう。

そこで初めて、

自分につながっていたと思っていた人間関係の中に、
実は自分ではなく、会社や肩書につながっていたものもあったことに気づくのかもしれません。

社会から自分へ伸びていた線が、一気に何本も切れてしまう…

定年には、仕事からの解放と同時にそうした面もあると思います。

『ルームメイツ』を読んで思ったこと

以前、『ルームメイツ』という漫画を読んだことがあります。
ママと私のような関係のお話で興味があって読んでみたのですが、

血縁でも夫婦でもない人たちが人生の後半を一緒に暮らしていく関係というのは、
これからの時代にあってもいいのかなと思うんですね。

もちろん、実際に同居するとなれば簡単ではありません。

生活時間も違いますし、お金の問題もあります。
掃除や食事などの生活そのものもありますし、
本人を含め、家族の病気や介護の問題に直面することもありますしね。

仲がいいことと、一緒に暮らせることは別なんですよね。

ちづるやちょいカラサロンの営業を続けてきた中で感じていることは、
一緒に住むところまでいかなくても成立させることはできるのではないかということです。

食事だけ。会話だけ。外出だけ。

自宅はそれぞれに持っていて、
自分の生活は、できる限り自分でする。

でも、ときどき一緒に食事をしたり、話したり。
一人では行かないようなところへ、ときどき一緒に出かける。

何日か顔を見なければ、
「最近、○○さん来ないね」と誰かが思う。

それだけでもいいのではないでしょうか。

生活すべてを共有しなくても、暮らしの一部分だけを誰かと共有することなら可能ですものね。

暮らす家は一人。
でも、生きる世界は一人にしない。

そんな暮らし方。
私はお勧めです。

自分でできることは、自分でする

ただ、こうした関係で大切なことが一つあって、
それは、できる限り自分のことは自分でするということです。

はじめはありがたいと思っていたことでも、
それが続けば、いつの間にか「してくれて当然」に変わってしまうことがあり、

「前はしてくれたのに」

が始まる。

そうなると関係は壊れやすくなります。

関係が壊れること自体を怖がっているわけではなくて、
せっかく一人ではなかった生活になったのに、
依存したことで関係が壊れ、また一人に戻ってしまうようでは元の木阿弥ですものね…

持ち寄るというのは、自立をやめることではないと思っていて、
できるだけ長く自立して生きるために、一人では足りないところだけを持ち寄る。

そのくらいのバランスがいいと思っています。

一つではなく、小さな共同体をいくつも持つ

そして、これからのシニアには、一つの大きな居場所より、
小さな共同体がいくつもあった方がいいと私は思っています。

それぞれが、自分と社会をつなぐ細い線で、
そのどれか一本がなくなっても、ほかの線が残る。

誰か一人を、自分の人生のすべてにしなくてよくて、
一つの場所に、自分の生活のすべてを預けなくてもいい。

それまで家族一つで担っていたものを、
いくつかの小さな関係へ分けると良いと考えていて、

それを作りやすいのが、スナックだと思うのです。

これは11年間、ちづるというお店をやってきて思うことなのですが、
こういう関係を比較的作りやすい場所の一つが、スナックだと思うんですね。

もちろん、
すべてのスナックがそうだという意味ではありません。

ちづるの場合でいえば、ママは料理が得意ですし、
男性のお客様の中には、料理が苦手な人もいらっしゃいます。

一人で食事をされている方もいらっしゃいますし、
私のように、寂しい日もあれば、話を聞いてほしい日があるという方もいらっしゃるかも知れません。

だからといって誰かに生活まで管理されたくなくて、

好きな時間に起きて、
好きなものを食べたい。

好きなところへ行きたいと思う日もあるでしょうし、
一人でいたい日はひとりで過ごす。

そんな関係が良いと思うのです。

そして、
「今日はちょっと誰かと話したいな」と思ったら、ちづるへ来る。

一緒に食べることもあれば、くだらない話をして、
たまにはみんなで一緒に出かけてみる。

翌日はまた、それぞれの生活に戻るというくらいが良いと思うのです。

お金が介在するから続けられることもある

友人に毎回ご飯を作ってもらえば、申し訳なく感じるようになると思いますし、
毎週何時間も愚痴を聞いてもらえば、相手は疲れて離れていってしまいます…

車を出してもらってばかりでも気を遣うでしょうしね。

でも、お店であれば、お客様は料金を払うことができます。

ママは料理を作れる。
私には私のできることがある。

お客様として店を利用し、料金を払うことでお店が続く。
お店が続くことで、また人が集まる。

これだけなら普通の商売ですが、

「最近顔見ないね」と思うこともあるでしょうし、
何か食べさせてあげようと思うこともある。

お客様の方から私たちを気にかけてくださることもあって、
同じものを同じだけ返す必要はありませんが、

何かが行ったり来たりしている。

ちづるではそんな関係が少しずつ生まれてきます。

これが、以前書いた「持ち寄って生きる」ということなのだと思っています。

「同じ釜の飯」から始まっていた

以前、私は「同じ釜の飯」について書いたことがあります。

一人で食べるより、誰かと食べる。

立派な料理でなくてもよくて、
温かいご飯と豚汁があれば十分。

何を食べたかより、
誰と食べたか。

そんなことだったと思いますが、
その方がずっと記憶に残ることがあります。

昔、ママと二人で食べたコッペパンの味はもう思い出せませんが、
暮れていく土手で笑いながら食べた光景は、今でも覚えています。

そして今になって思うんですね。

同じ釜の飯を食べたからといって、
本当の家族になる必要はないのかもしれません。

家族ほどお互いに縛らないし、恋人ほど独占しない。

赤の他人ほど遠くないけれど、一緒には住まない。
でも、一緒に暮らしているように重なる部分はある。

そのくらいの関係が、ちょうどいいのかもしれません。

『ルームメイツ』のように、
長い時間をかけて家族のような関係になれたなら、それはとても幸せなことだと思います。

ただ、そこまでの関係になるには何十年という時間が必要でしょうし、
誰とでもできることではありません。

だからこそ、そこまでいかなくてもいいと思うのです。

一緒に暮らしているように重なる部分を少しずつ持つ。
それだけでも十分価値があるはず。

まだ時間があるのであれば、そこに時間をかける価値は十分あると私は思っています。

人間関係は、必要になった日に用意できない

そう思うと、
こうした関係を作り始めるのは、老後になってからでは遅いと思っています。

退職して誰からも電話が来なくなった。

身体を悪くした。

一人で食事をするのが寂しくなった。

そこで初めて、
「誰かとつながりたい」と思っても、人間関係はその日に用意できませんものね…

老後資金を、退職した翌日から積み立てる人はいないように、
人との関係も同じだと思うんですね。

まだ元気で仕事があるうちに、会社とは関係のない人と知り合って、
肩書を外した自分を知っている人を作っておくと良いのかも。

行けば、「久しぶり」と言ってくれる場所をいくつか作っておくことも大切で、
人との間にも、時間を積み立てておく。

それが、これからの老後の準備の一つになっていくように思うのです。

私たちは、これまでとは違う80代になる

これからのシニアはネットも使えば、AIも使います。

一人でもかなりのことができますので、
一人でできることは、一人ですることだと思いますが、

一人でできることと、
一人でやった方がいいことは同じではありません。

食事も一人でできますし、
テレビだって一人で観ることも出来れば、
買い物も一人でできますから、

一人で生きていくことだって、かなりのところまでできると思うのですが、
人生まで全部一人でやる必要はないとでもいうのでしょうか…

自分の家は自分の家。
自分の人生は自分の人生。

そのうえで、
小さな共同体を生活の中にいくつか持って、ときどき誰かと暮らしが重なる。

それがこれからのシニアの一つの生き方になってもいいと私は思っています。

暮らす家は一人。
でも、生きる世界は一人にしない。

一人で暮らすことができても、
人との関係までなくしてしまえば、孤立しやすくなってしまいますものね。

その準備を始めるのは、老人になってからではなく、
まだ自分を老人だなんて思っていない今!

人との関係も、老後資金と同じように、必要になる前から少しずつ積み立てておく。

そんなことにも、真剣に向き合っておかなければいけないと思うのです。

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