先日、高齢男性の孤独について取り上げている動画を観ました。
家族や友人とのつながりがなく、日々を一人で過ごしている男性。
誰かと話したい。誰かとお茶を飲みたい。
そんな思いが伝わってくる内容でした。
参考番組:ABEMA「『常にひとり』70歳の孤独&孤立した父が死去…家族の後悔も」
もちろん、
孤独には死別や病気、生活環境など、
自分の振る舞いだけでは説明できない難しい事情もあると思います。
ただ、人との縁ということで考えてみると、その後の人生を少しでも明るくするために、
自分自身のあり方を見つめ直すことも大切なのではないかと思うのです。
さて、長年勤めた会社を離れると、
それまで当たり前だった人との接点がなくなります。
職場に行けば誰かがいて、仕事の話をする。
会議に出ることもあれば、電話もかかってきますしね。
誰かに相談されたり、
頼られることだってあると思います。
ところが、
退職すると、そうした日常が突然なくなってしまうんですよね。
寂しくなるのも無理はないと思うのですが、
「退職した日から孤独は始まるのでしょうか」
本当は退職するずっと前から、その兆候はあったのでは…
孤独、孤立の解消が問題と言われていますが、
私はそのためにできることは、案外身近なところにあると思っていて、
今日はそんなお話をさせていただこうと思います。
人付き合いが上手な人だから、孤独にならないわけではない
孤独を防ぐには、友達をつくりましょうと言われています。
「地域の活動に参加しましょう」「趣味の仲間を見つけましょう」
そんな言葉をよく耳にしますよね。
もちろん、
人と出会う機会を増やすことに意味はあるとは思うのですが、
出会いの場があれば、それだけで人間関係が育つというほど簡単なことではないと思うのです。
話上手でいつも自分の話をしている人。
反対に、口下手で話題もそれほど豊富ではない人。

それでも、口下手な人の周りにいつも人がいることがあって、
とても不思議に思って、その違いを考えたことがあります。
それは、
話が面白いかどうかということよりも、
「相手を大切にしているかどうか」の違いが大きいように思ったのです。
自分の話を聞いてもらうばかりではなく、
相手の話にも耳を傾けることもそうですし、
相手が困っていれば、できることをすることもそうですよね。
何かをしてもらったら、メールやLINEなど手軽に済ませるのではなく、
できることなら、直接言葉にして感謝を伝えてみる。
そんなことを、自然にしている人の周りには人がいつもいるように思うのです。
一緒にいて楽しい人もいいのでしょうけれど、
一緒にいて安心できる人が、本当に会いたいと思われる人なのかも知れませんね。
「こんにちは」「ありがとう」「ごちそうさま」
人間関係を育てていく上で、
特別な能力が必要だと私は思っていません。
「こんにちは」「ありがとう」
「ごちそうさま」「お疲れさま」
たったこれだけなんですけれど、
それを自分から自然に言えるかどうかによって、人との関わり方が変わるように思うのです。
食事を作ってもらったり、お茶を淹れてもらう。
自分のために誰かが時間を使ってくれていることを、
当たり前だと思ってしまうと、感謝の言葉は出なくなります。
仕事上のお付き合いは、それでも続いていくと思うのですが、
それは、相手にも仕事という立場や役割があるからこそ、成立しているんですものね。
でも、
退職することでその役割がなくなってしまえば、
以前のように声をかけてもらえるとは限りませんし、
話を聞いてくれる人は少なくなってしまうと思うのです。
現役時代からの振る舞いということですが、
それが退職後に表れてくると思うのです。
誰かのために、お茶を淹れたことがありますか
「誰かに話を聞いてほしい。」
そう思うのなら、誰かのためにしっかり話を聞いてあげてみてはどうでしょう。
「誰かとお茶を飲みたい。」
そう思うのなら、自分から誰かのためにお茶を淹れてみることだと思うのです。
お茶を差し出したとき、相手が「ありがとう」と言ってくれた。
「おいしいね」と言ってくれた。
きっと、うれしく感じると思うのですが、
相手が何も言わずに飲んだとしたらどうでしょうか。
せっかく淹れたのに、何も言ってくれないって、
寂しく感じるかもしれません。
自分も、これまで誰かに同じことをしてこなかっただろうか。
振り返って考えてみる機会にしてみるとよいと思うのです。
お茶を淹れてくれた人、食事を用意してくれた人。
自分の話を聞いてくれた人。
どれだけ感謝を伝えてきただろうかって、
してあげる側になって初めて、気づけることなんですよね。
何かをしてもらう側にいるだけでは、
いつまでたっても分からない気持ちがある。
そう考えると、孤独の解消というのは、
相手の気持ちを知ることから始めることなのかも知れません。
それでも、お茶を淹れ続けてみる
何も言ってくれないから、お茶を淹れるのをやめてしまう…
それって、少しもったいないと思うのです。
明日も明後日も、お茶を淹れてみる。
相手のために、自分のできることを続けてみる。
もちろん、
相手が望んでいないことを押しつけるということではいけませんが、
でも、
たった一度、感謝されなかったからといって、やめてしまうようでは、
もしかすると、感謝されることを期待していたのかも…
人間関係は、一度の親切で出来上がるほど簡単なものではありませんし、
その行動の動機は、善であることも大切だと思うのです。
お茶を淹れるという行為は同じでも、
感謝してもらいたいから淹れるのか、相手に喜んでもらいたいから淹れるのか。
相手のためを思って、お茶を淹れることは、
時間も使うでしょうし、相手の気持ちを考えることに繋がりますものね。
そうしたことを、毎日の暮らしの中で重ねていくことで、
相手のことだけでなく、自分自身のことも少しずつ見えてくるのだと思うのです。
欲しい欲しい。
飲みたい飲みたい。
それでは、相手の気持ちはいつまでたっても見えてこないように思うのです。
人の振り見て我が振り直せ
「人の振り見て我が振り直せ」
誰かの振る舞いを見て、嫌だと感じたとき、
相手を責めるだけで終わらせるのではなく、同じことをしていないだろうか、と考えてみる。
お茶を淹れたのに感謝されなかったとしたら、
自分はお茶を淹れてもらったら、きちんと「ありがとう」と言うことだと思うのです。
話を聞いてもらえなかったときの気持ちを知っているからこそ、
自分は誰かの話にも耳を傾けようと思う。
挨拶をしても返してもらえなかったから、
自分はできるだけ気持ちよく挨拶を返そうと思う。
自分がされて嫌だったことを、次の人にはしない。
経験から学ぶということを大切にしないといけませんね。
不幸の連鎖を、どこかで断ち切る
自分が冷たくされたから、ほかの人にも冷たくする。
感謝されなかったから、自分も感謝しない。
話を聞いてもらえなかったから、自分も誰の話も聞かないだなんて、
そんなことを繰り返していたら、次の人へ寂しさが渡っていくばかり…
そうしたことは不幸を連鎖させるだけだと思うのですが、
その連鎖を断ち切ることができるのは、自分自身でしかありませんものね。
「相手が変わるのを待つのではなく、
自分の振る舞いを少しだけ変えてみる」
嫌な思いをしたからこそ、同じ思いを誰かにさせないというか、
してはいけないのだと思うのです。
自分の振る舞いによって人が離れていくことって、あると思うのですが、
そうした振る舞いは、退職した途端に始まるものではないということだと思うのです。
夫婦関係でも、日々の小さな振る舞いが積み重なって、
長年の信頼関係が失われてしまうことがあるようです。
以前、そんなご夫婦のお話から考えたことを書きました。
また会いたいと思ってもらえる人であるか
退職後の孤独を防ぐために必要なものは、友達の人数の多さよりも、
「また会いたいと思ってもらえる人」であるかどうかということだと思うのです。
自分の話ばかりして、相手に関心を示さなかったり、
相手がしてくれたことを、当たり前のように思っているようでは孤立、孤独に向かうばかり…
自分は誰かのために何かをしてきただろうか。

相手を大切にする姿勢を、毎日の振る舞いで伝えることができているのか、
自分がされて嫌だったことを繰り返すことなく、自分がされてうれしかったことを誰かにもしているか。
そう思うと、
お茶を淹れてほしいと待つ前に、まず自分が誰かのためにお茶を淹れてみることだと思うのです。
何も言ってもらえなくても、そこで終わりにするのではなく、
相手の気持ちが分かるようになれるまで続けてみる。
そうすることで、自分の振る舞いも少しずつ変わっていく。
そんな日々の積み重ねの中に、人と人とのつながりが育つのだと思います。
孤独は、退職した日に突然始まるわけではなくて、
そのずっと前から、自分が人とどう向き合ってきたのか。
その答え合わせが退職した後の時間なのだと思うのです。
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